「雷さんの鳴いよらすけん、へそば取らるっバイ。」
「うっサごと言うぎ、閻魔さんの舌ばぬきぎゃ来らすバイ。」
子どものころ、大人の人は、子どもたちにそう教えていました。
雷さんがへそを取りにきたり、閻魔さんが舌を抜きに来ることは、実際にはあり得ないことですが、お腹を冷やしたり、うそをつかないようにするためにそんな風に言うことで、躾ていたのでしょう。
 それが、子どもたちの我儘や悪さを防ぐ抑止力になっていたのだろうと思います。そのような方法を「方便」と言います。
「腹バ冷やさんごとしんしゃい。」とか「嘘言うぎいかん」とか、直接的な行動様式を言うのではなく、一種の恐れを抱かせながら行動させる手だて、それが「方便」です。
 お釈迦さまの教えは、ほとんどが「方便」です。木像の阿弥陀如来像や絵像も方便法身です。形も匂いもないものの働きを人々にわかるようにお説きになるための手段です。十一面観音像や千手観音も、薬師如来や大日如来、曼荼羅などもそうですし、地獄や極楽も、人間の欲や怒りや愚かさを知らしめ、因果応報の道理を説くための方便なのです。
 目覚ましい科学技術の進歩は、「方便」を失くしてしまう方向に動いているように感じます。SNSやネット、メディアからこぼれてくる情報の洪水は、想像力や洞察力、俯瞰力、言語能力を子どもたちから奪っているように思います。タブレットを使った学習で、子どもたちの総合的な学力が低下していると指摘する報告が、色々なところから上がってくるようになりました。闇バイトや無差別殺人、詐欺、独りよがりの我儘発言、なども大いに関係しているように思います。
 「うそも方便」とは、噓をつくことを正当化する意味ではなく。物事を円滑に進めたり、高い境地に導くための仏教の考え方です。
「ばちかぶる」「ばちんあたっ・」(罰が当たる)という言葉も、一種の方便なのでしょうね。


東井義雄先生の言葉⑰ 
 
辛抱してもらって、生きてきた私 
 闇が深まるほど
星が輝くように、より深い暗がりの旅をつき進む私たちをみかね、真如の世界にじっとしておれず、声になって飛び出してくださったのが、南無阿弥陀仏さまなのです。だから「南無阿弥陀仏」は、天地一杯に満ち満ちて、働きづめに働いてくださっている盡十方無碍光如来さまの大悲のこりかたまりであり、不可思議光如来さまのおいのちのしぼり汁ともいえましょう。
 私が他所へ出かける時、自転車で6kmばかりの山を下るのですが、途中、地蔵峠という坂道にお地蔵さまが立っておられます。出がけには、「ご挨拶を忘れぬように・・・」と自分に言い聞かせるのですが、坂道を風を切って下るのが気持ちいいものですから、たいていご挨拶を忘れてしまいます。ところが、自転車を押して、坂道を上がる帰りの時は、いつも、ハッとします。
お地蔵さまが私を拝んでくださっているのです。私がご挨拶を忘れて坂を下る時にも、やはり拝んでくださったに違いないのです。私が合掌するよりも先に、拝んでくださっているのです。
 その時、いつも「五濁悪事悪世界、濁悪邪見の衆生には、弥陀の名号与えてぞ、恒沙の諸仏すすめたる」のご和讃を思い出すのです。ガンジス河の砂の数ほど沢山の仏さまが、濁りに濁り汚れた今の時代に、濁悪邪見のお前が救われり道はお念仏以外にないぞ、目ざめてくれよと、掌を合わせて私に頼んでくださっていることみ気づかせていただくのです。拝まない者も、拝まない時も、拝まれているという大いなる願いに願われている私に気づかせていただく時に、大いなる生命とつながらせていただけます。


 親鸞聖人降誕会イベント
5月28,29,30日の三日間、大須賀ひできさんのコンサートを みやき町の①筑水こども園②正安寺③栄町歌う会④法泉寺⑤尊光寺⑥教法寺で開催しました。
 どこも大盛会で、アンコールで「旅ゆくしんらん」を歌ってもらいました。金色のスーツでのステージでした。平和への願いを込めた「リメンバー」という曲は、とてもよかったです。



しっこりさん⑮  テンゲ―饅頭

 今じゃーしっきゃーどこん家でん風呂のあるばってん、戦前な、共同風呂のどこん部落でんあって、みゃーば(舞原)にも、弥平さんがたと勇七さんがたん裏の川ん端の2カ所にあったて、オンちゃんたちん言いよらした。。
 今じゃだーいも使わんごとなった共同風呂のあとに、夏のぬっか時どみゃ、しっこりさんのひゃーいろらした。水に浸かいながら、テンゲー(手ぬぐい)で、饅頭ば作いよらしたけん、どがんすっぎ、そがん太か饅頭の出くっと?て、聞いたぎ、「濡れたテンゲ―ば、水ん上で広げて、下から手でもち上ぐっぎ、テンゲ―と水ん合いなきゃ、空気のひゃーってふくるっとタイ。家ン風呂でしてみらんかい。」って教えてくいらしたけん、家え帰って、身体どま洗わじー、風呂ん中で、のぼすっまで、饅頭作いば練習したけん、テンゲ―饅頭の太かとば作いゆっごとなったとバイ。
 しっこりさんのおかげで。


同総会で気づいたこと。

5月24日、大阪天満橋の大阪キャッスルホテルで、寝屋川市立国松緑丘小学校の同総会が開かれたので、出席しました。
 5,6年生を受け持った時の子どもたちが計画を立てて、招待してくれました。彼らは、58歳になっていて、46年ぶりの再会で、38人集まりました。。(一部は、20年前に会を開いて再会していたのですが、)
 Yさんが(昔の遊び)という脚本を持参していましたが、それを見たT君が、「この劇は、自分の掛け声で始まってん。」と言いつつ,「チクサクチクサクホイホイホイ」と叫びました。すると周りのみんなが声をそろえて、「チクサクチクサクホイホイホイ」と言いつつ、「おぼえてるでー」と言いながら、何回も何回も、掛け声の大合唱となりました。ぼくは、すっかり忘れてしまっていましたが、自分が忘れてしまっていることも、誰かの心には焼き付いているんだ、それぞれいろんな思い出を抱いているんだなあ、としみじみ感じました。思い出を共有する場、それが、同総会なんだと気づかされました。

一口法話
2025 6 桃谷法信

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