浄土真宗のご本尊

阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)




    法泉寺のご本尊(木像)    


阿弥陀如来・弥陀仏・弥陀・阿弥陀・親さまともいわれます。
「阿弥陀」とは、サンスクリット語で、アミターユス(Amitayus 無量の寿命 無量寿)・アミターバ(Amitabha 無限の光明 無量光)の意味に相当する音写(音を漢字に当てはめた)語で、"いつでも" "どこでも" "誰にでも" 頷ける、何があっても変らない真理を表しています。
本来の阿弥陀仏は、物事の道理や真実といった色も形もないもの(法性法身ホッショウホッシン)であり、それを何とか形(絵像・木像)に表そうとして、教えを説くための方便としてのお姿(方便法身ホウベンホッシン)なのです。

写真のような木像の阿弥陀如来像をご覧になるとよりわかりやすいのですが、48の後光(四十八の願い)が私に向かって差しており、さらに前傾姿勢になってます。これは阿弥陀仏が私たちに、「物事の道理や、真実に目覚めよ」と呼びかけ、願いをかけて来てくださる(如来)ことを表しています。
 
南無阿弥陀仏は名号ともいい、この六文字の名号・その音(なんまんだぶつ)がご本尊(阿弥陀如来)です。
南無は帰命とも訳し、帰依するを意味します。南無阿弥陀仏とは阿弥陀さまに帰依する・うなずく・おかげさま・ありがとうという意味であって、決して、願い事をかなえるための呪文ではありません。だから「なんまんだぶつ」とお念仏もうしても、残念ですが私の都合のよい(欲望をかなえる)お願いは聞いてくれません。
また、南無阿弥陀仏は阿弥陀さまからの願いが込められたはたらきですので、「私(阿弥陀仏)に南無(帰命・帰依)しなさい」、つまり「教えを聞きなさい」という呼びかけなのです。
トップページへ