広瀬向窯跡
西有田町広瀬山の有田方面へ向かう角を曲がったところ、龍門入り口の
反対側に墓地がある。川のそばのコンクリート舗装の細い道を西へ50m
ばかり歩くと、左手に窯跡と思われる段々畑(?)がある。その付近一帯が
広瀬向窯古窯群跡である。
17世紀中頃から19世紀後半に
かけて焼かれていたらしく、物原
からの出土で、その年代を窺い
知ることができる。
 今回の調査は、広瀬地区の道路
が狭いために、バイパスを通すた
めの工事の前段のトレンチ溝で、
2号窯跡の物原の下から出てきた
3号窯跡の焼成室の一部で、県の
重要文化財に匹敵するようなもの
だそうである。
 宮崎光明西有田町文化財担当者
によると火床や砂床、焼成室の火穴
跡が明確にわかるのはめずらしいそ
うで窯の外壁の一部もはっきりとわか
る形で発掘されていた。
 この3号窯は、1760年代から80年
代にかけて、 鍋島藩による窯の整
理統合のあと再び、焼かれていたらし
く、陶器ではなく、磁器が造られてい
た。
 川を挟んで、反対側は、たくさんの
窯元があり、向窯跡には、ほとんど
家や建物がないこと、広瀬山地区の
道路をはさんで、北と南では、春の
山菜取りが、蕨とぜんまいに分けられ
ていることなど、不思議な疑問はいっ
ぱい沸いてくる。
写真は、西有田町教育委員会の
承認済みで、掲載する。'05.
2号窯跡
焼成室:砂床と火穴(南西角)
2号窯の物原
この下に焼成室が出てきた
土嚢の下に火床がある
町文化財担当宮崎さん
窯の外壁の一部
砂床(南東角)
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