しんらんさまの不思議な言葉

親鸞さまが遺された言葉や書物の中には、「おやっ」と
思う不思議な言葉がたくさんござる。それは、人間中心
の視点ではなく、阿弥陀如来のご本願をよろこばれた親
鸞さまのお念仏の言葉なのでござる。

その1、地獄におちても後悔しない。

 これは、嘆異抄第2章に出てくる言葉でござる。60歳を過ぎて京都にお帰りになった親鸞さまのもとへ、十数ヵ国の国境を越えて、命がけで訪ねてこられた関東のお同行たちの代表を前にして語られた言葉でござる。(その頃、関東には十五万人ものお念仏をよろこぶ人たちがおられたそうな)

関東のお弟子たちの、浄土に生まれる道についての疑問に対し、親鸞さまは、こう言われたのでござる。
「念仏の他に、浄土に生まれる道があるのではないかとのお疑いならば、奈良や比叡山の優れた学僧たちによくお聞きなされ。この親鸞にとっては、『ただお念仏を称えて阿弥陀様に救われなされよ』とおっしゃった法然上人のお言葉をそのまんま信ずるより他に別には何もないのじゃ。お念仏を称えて本当にお浄土に生まれ悟りを開けるか、また、お念仏を称えて無間地獄におちるのか、わしには、もうそんなことどうでもよい。もし、法然上人のお言葉に従って、お念仏を称えて地獄におちたとしても、わしはけっして後悔はない。なぜなら、お念仏以外に救われる道があって、お念仏を称えたばっかりに地獄におちたというのであれば、しまった、別の道を選べばよかったとという後悔もあろうが、どんな行(悟りに到るための修行)もできない罪の凡夫の身であってみれば、いずれ、やがては地獄へおちてゆかねばならぬ定め、たとえ、お念仏を称えて地獄へおちたとしてももともとではないか。」と申されたそうな。

 訪ねてきた関東のお弟子たちは、眼をパチクリ、口をあんぐりさせ、半信半疑の様子。 それを見て、親鸞さまは、
「よおく考えなされよ。阿弥陀様のご本願(お念仏ひとつで救うという誓い)が、まことなら、お釈迦様の言葉にうそはない。お釈迦様の言葉が本当なら、善導大師の言葉にもうそいつわりはない。善導さまの言葉がまことなら、法然さまの言葉にもうそいつわりがあろうはずがない。法然さまの言葉がまことなら、わしの言うことに、うそいつわりがあろうはずがないではござらんか。」とお念仏の伝統を話されたのでござる。

 そして、「要するに、わしは、法然さまの『お念仏して阿弥陀様に救われなさい。』との仰せをそのまんま信じているのでござる。この上は、あなた方がお念仏を選んで信じなさるも、あるいは捨てなさるも、それは、あなた方の自由でござる。」と他力本願のお念仏の真髄を披露され、地獄に落ちても決して後悔しないほどの信の一念をいただかれた親鸞さまの胸の内を語られたのでござる。

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