しんらんさまの不思議な言葉 その10、悲しきかなや 道俗。 これは、親鸞さまが80歳を過ぎてから お書きになった悲嘆述懐和讃の中に出てくる言葉でござる。 鎌倉時代と現代と、少しも変わっていない人間の姿(煩悩具足ということ)を、みごとにとらえられているのでござる。 悲しきかなや 道俗の 良時吉日選ばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす どんなに科学が進んでも、生活が便利になっても、人間の中に巣くう悪業煩悩は、オカルトブームに火をつけ、霊に迷い、新新宗教にみられるごとく、低俗な精神安定を求めてやまないのでござる。 一時的な安心、その場限りの快楽等が、恥も外聞もなくクローズアップされ、それが幸福の極みであるごときマスメディアの宣伝にのせられている姿は、まさに、悲しいというほかに言葉が見当たらぬ様相でござる。 例えば、餓鬼(ガキ)・・・子どものことをガキと呼んでいたころには、その実相が分かる人が多かったからでござろうが、今の世相は、餓鬼のまんま、人間にならずに死を迎え、再び、六道に輪廻し、餓鬼の姿を餓鬼ととらえられず、迷いの世界をへめぐり続けることなのでござる。 *餓鬼というのは、六道の一つ。六道とは、迷いの状態でござる。 この六道は、前生(世)や後生(世)のことではござらん。 只今、現在のこの私の心の状態を、仏さまが示してくださっているのでござる。 大安吉日に結婚式を、友引き(共引き)には葬式を出さぬ、星占い、血液型による決めつけ、4や9の数字を嫌う、鬼門など方角を気にする、・・・思いつくだけでもきりがないくら迷信俗信に惑わされている世相が浮き上がってまいる。まさに、「悲しきかなや道俗の」でござる。そして、この世相や姿をご覧になった阿弥陀さまの誓願を、お慈悲、大悲と呼ぶのでござる。
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