しんらんさまの不思議な言葉

その12、この世はそらごと、念仏のみぞまこと。


「この世のことは、そらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ、念仏のみぞ、まことにておわします。」

 これは、嘆異抄「後序」に出てくる言葉でござる。

そういえば、親鸞さまが尊敬なさっておられる聖徳太子も、その遺語として、「世間虚仮、唯仏是真」という言葉を遺しておられるが(天寿国繍帳)、鎌倉時代も飛鳥時代も仏さまの智慧の光に照らし出されれば、この世は、そらごとたわごと 虚仮の世だったのでござろう。

 現代はどうか。

 新聞を開けるまでもなく、カラ出張、官官接待、ヤミ献金、どこへ行ったか住専処理問題、薬害エイズにオー157、子どもの自殺に保険金殺人、核実験に乱開発・・・ありとあらゆる環境破壊に人心破壊。

 いま、地球は、滅びの方向へ加速度を増して進んでいるように思えてならないのでござる。

そして、その原因は、他でもない、人間(煩悩具足の凡夫)が、やりたい放題のことをやってきたからに間違いござらん。物質文明におぼれ、たしなみやつつしみを忘れ、餓鬼(むさぼりつづけ、物や金が第1と考える輩)や畜生(恥を知らぬ輩)が、リーダ^となって、たしなみつつしむ者たちを軽蔑さえして突っ走っているのでござる。まるで、滅びの世界(地獄)行きの火の車特急。

 それが、現代の姿ではござるまいか。

だからこそ、今、われわれ念仏者は、如来さまから賜る信心の智慧に生きるものとして、「世間虚仮、唯仏是真」の次に続く「諸悪莫作、諸善奉行」(悪いことをせず、善いことをせよ)の言葉を大事にし、まず、身近なできることから始めることでござろう。 電気、水、車などの乱用を避け、ごみや廃棄物なども、できる限り少なくする生活設計をし、無財の七施(やさしいまなざし、やさしい言葉、にこやかな顔、思いやりの心、人のために動く、場を作る、宿を提供する)を心がけたいものでござる。

「ただ念仏のみぞまこと」と阿弥陀さまのご本願のめあてを「私ひとりのため」といただく人生こそ、ふだん見えないところを見、気付かないところに気づかせていただく、いのちへの深いまなざしが身についてくるのではござるまいか。

 六連島のお軽さんが

「もろたもろたよ六字の智慧を、愚痴が感謝に変わる知恵」と詠ってござる。

                       (1996.11 むりょうじゅ154号)

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