しんらんさまの不思議な言葉 その14、義なきを義とす
「義」という語を辞書で調べてみると 1, すじ道(義見、律義) これらはすべて、人間の行為(身、口、意:しん、く、い、の三業)でござる。 それでは、親鸞さまは、どのような意味で「義」という言葉を使われたのでござろうか。第10章の全文は、短こうござる。
つまり、無義とは、念仏のことなのでござる。 お念仏は、凡夫のはからうことではなく、如来さまの全くのお独りばたらきのことで、人間があれこれ心をはたらかせたり、称えることを主義としたり、自分のてがらとして往生の手段にしたりすることではないことを、親鸞さまは、示して下さったのでござる。 如来回向(にょらいえこう:如来さまのさし回し)の他力本願をいただいた私の口を通して、如来さまがはたらいておられるのでござる。 人間の行為を否定するのではなく、お念仏には、人間の行為やはからいの入り込む余地などまったくないということを力説されているのでござる。 それにしても、なんとこの第10章の簡潔な、そして、明瞭なことでござろうか。 (1997.1 むりょうじゅ156号) |