しんらんさまの不思議な言葉

その22、南無阿弥陀仏を称ふればC

 

 先月号から、現世利益和讃を味わっているのでござるが、今月は、その第4首めでござる。

南無阿弥陀仏を称うれば この世の利益きはもなし

   流転輪廻のつみきへて 定業中夭のぞこりぬ


 ふつう利益は、経済的に使われる時は、「りえき」と読むが、「ご利益がある。」とつかわれる場合は、「りやく」と読む。「ご利益」といえば、「この観音さまを拝めばご利益がある。」だの「この水は、霊験あらたか、ご利益まちがいなし。」などいう使われ方をしておるが、どうも、人間の欲望を満足させるという意味のようでござる。

 この和讃でつかわれている「ご利益」は、もちろん「ごりやく」と読むが、目先の欲や願望を満たすという意味ではござらん。

 「迷いの世界から、迷いの世界へ流転し、六道(りくどう:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つを云う。いずれの迷いの世界である。これに、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)、仏(ぶつ)を合わせ十界(じゅっかい)という。)を、ぐるぐる輪廻(りんね)して、けっして、解脱(げだつ)することのないこの私が、南無阿弥陀仏のはたらきによって、迷いの世界に生死(しょうじ)を繰り返し続ける原因となる罪も消え、定まっている寿命をまっとうし、悔いの残らない人生を送ることができる」と讃えられているのでござる。

 これは、中国の善導大師が、その著「散善義(さんぜんぎ)」の中で

自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没死常に流転して、出離の縁あることなしと深信(じんしん)す

という機の深信(きのじんしん:人間の側から)と同時に、その機をめあての法、つまり

   彼の阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂取したまふ、疑いなく、慮(おもんばか)りなく、彼の願に乗ずれば定んで往生することを得と深信(じんしん)す

という法の深信(ほうのじんしん:仏の側から)の二種深信(にしゅじんしん)の教えによって、昔の昔から、私たちを案じ続けて下さっている阿弥陀如来にであえるのでござる。

 この最悪底下の凡夫が、仏にであい、仏に成らせていただく約束ができる。これ以上のご利益がござろうか。  
                            (1997.9 むりょうじゅ164号) 


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