しんらんさまの不思議な言葉 その23、南無阿弥陀仏を称ふればD お念仏の功徳について、今回で、はや5回目とあいなった。
我々は、目に見えたり、耳に聞こえたり、身に感じたりすることについては、敏感に反応し、有り難く思うのであるが、感じないもののおかげ・・・これを「冥加(みょうが:目に見えないもののおかげ)というが・・・この冥加を感じることなく過ごしておるのではござるまいか。 東井義雄先生は、「拝まない者も拝まれている」というご本の中で、 自転車通勤の途中、峠のてっぺんで休んでいて、ふと、お地蔵さまが、自分の方を見て拝んでくださっているのに気づかれ、こっちが気づこうが気づくまいが、素通りしようが、寝ておろうが、仕事をしておろうが、雨の日も、風の日も、真夏でも、真冬でも、昼でも、夜中でも、いつも、いつでも、じっと、念じ続けておって下さった方があったと感じられ、阿弥陀如来のご本願も、五劫の昔から、私を目当てにスポットをあてられ、見守り続けて下さってある大きなはたらきに感動されたのでござる。 「拝まない者も拝まれている。拝まない時も拝まれている。」 東井先生のお言葉が、ありがたく拝まれて、東井先生流の現世利益の受け止め方がにじみ出て下さっているこのお言葉に、合掌したことでござった。 (1997.10 むりょうじゅ165号) |