しんらんさまの不思議な言葉

 

その5、

このたびの明法房の往生、まことにめでたく候

この言葉は、親鸞さま80才の時に、関東に住むご門徒あてのご消息(お手紙)の中に出てくる言葉でござる。

  〜前略〜明法房の往生のこと、おどろき申すべきにはあらねども、かえすが えす、 うれしくそうろう。鹿嶋、なめかた、奥郡、かようの往生、ねがわせ たもう人々のみな御よろこびにてそうろう。また、平塚の入道殿、御往生のこ と、聞きそうろうこそ、かえすがえす申すに、かぎりなくおぼえそうろへ。
 めでたさ 申しつくすべくもそうらわず。おのおのみな、お往生は一定とおぼ しめすべし・・〜後略〜


「かえすがえすうれしい」とか「めでたさ申しつくすべきもない」など、往生をよろこんでおられるのでござる。

 世間一般では、人の死は、不幸なこととしてかたづけられておるが、弥陀のご本願の中で生かされている身にとっては、なによりも、めでたきことなのでござる。

 北九州黒崎のグリーンライフ研究所、そして、向洋興産主宰の向坊弘道さんは、車イス、寝たきりの体で、広く仏法、特に親鸞さまのみ教えを伝えていこうと日夜励んでおられるのでござるが、湯布院の父上の別荘を訪れた時、父上は、次のようにおっしゃったそうな。「…前略・・・今、お前に告白するが、自分には、祈る力さえないことが分かった時に、仏さまから金剛の信心を恵まれて、長い年月の苦労が耐えられるものだということが分かった。いつか、お前のように、安らかな境地になりたいと願っていたが、俺は今、すべてを仏さまにまかせる気持ちになって本当に楽になったよ。長いこと心配かけたのう。俺は、歯医者にならずに坊さんになるべきだったよ。それに、近頃、お念仏がこの口から出てきてくださることがある。それが、何よりうれしいよ。」

 自力に執心してきたお父上が、大きな生命の世界に目覚められ、竹下照寿さんの「いつかその道がつきた時、そこにお浄土がひらけてくる。」という歌の心境を味わっておられるのでござる。

 そのお父上が亡くなられた時、「おめでとうを言ってやりたい気持ちになった」と向坊さんはおっしゃる。それは、あの世に行って楽になられたのではござらぬ。
お父上が、性格的欠点を克服し、信心獲得にまでこぎつかれたからでござる。

 それ故に、親鸞さまは、自分をつけねらい、呪い殺そうとした弁円が、お念仏をよろこぶ明法房となり、「道は道、今は昔と変わらねど、変わり果てたるわが心かな」とご信心をよろこぶ者に変わってくださったことを、ことのほかよろこばれ、そして、その往生を聞き及んで、「まことにめでたき」と讃嘆されたのでござる。

*お葬式の時のお仏飯を赤飯にしているのは、雑賀門徒(和歌山)と聞いたことがござる。

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