しんらんさまの不思議な言葉

その9、死んだ人が、生きる人のために働く

「死んだらみんなゴミになる。」と、ある大学の先生が言われたそうな。

おじいちゃんが亡くなった夜、孫がお母さんに「おじいちゃん、これからどうなるの?」と聞いた時、お母さんは、「あした、火葬場で焼いて、骨になるのよ。」と答えなさった。

 あなたは、どう思われるかのう。

京都女子大で、講義なさっていた大関尚之先生は、ある学生から、「お浄土というものは、ほんとうにあるのですか?」と問われなさった時、その学生さんをじっーと見つめ、見つめているうちに涙を流されて、「お浄土がなくて、どうするかい」と答えなさったそうな。一週間ばかり前に、愛する娘さんを亡くされたばかりの大関先生にとって、お浄土は、なくてはならなぬ存在じゃった。死んだ娘がゴミになるなんて、とても考えられんし、骨になって、冷たい土の中にいるとは思いたくない。

「娘は、お浄土に往生し、そこで、おさとりをひらかせてもらって(往生即成仏)、私のところへ戻ってきて、私を救い、導くはたらきをして下さる。先立つものを善知識(ぜんじしき:仏法の上の先生)として、私が仏法にであわさせていただく。」

そんなふうに、大関先生は、味わわれたのじゃなかろうか。

阿弥陀如来の願い(48願)の22番目に、相回向(げんそうえこう)の願というものがござる。

 阿弥陀仏のお浄土に往生したものは、無上の悟りを得て仏になるのじゃが、その仏とは、善導大師(ぜんどうだいし:中国の僧、浄土教を伝えた七高僧の一人)がその著“玄義分(げんぎぶん)”の中で、「自覚覚他、覚行窮満(じかくかくた、がくぎょうぐうまん)、これを名付けて仏とす。」といわれるように、自ら覚る(自覚)と同時に、他を悟らしめる(覚他)ことが完成したもの(覚行窮満)でなければならん。その覚他、すなわち、衆生救済の働きを為すことについて誓われたものが、第22願(還相回向)なのじゃよ。

 だから、死んだものがゴミになったり、土にかえったり、骨になったまま、極楽でゆったりすごしたり、安らかに眠ったりするのじゃなく、生きて悩み、迷うておるもののためにはたらいておられるのでござる。それは、人間だけではなく、宇宙全体を含めたすべての生命体にいえることなのじゃよ。

死んだ人が、死んだままでなく、生きて働き続ける世界がある。死んだ人が、生きた人のために働く。それが、浄土真宗の「還相摂化(げんそうせっか)」のお味わいでござる。

 わが命を支えて下さるものは、これまで死んでくださった無量大数のいのち(無量寿:むりょうじゅ)なのでござる。なもあみだぶつ。

                                    (1996.7 むりょうじゅ150号)

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