「広報にしありた」03.3月号より転写
ももちゃんの西有田史跡マップ
 国見山麓の字岳にあり、代行道路から西へ約400m入った山中にある大きな岩の塊です。その下は、洞窟のように大きな穴が開いており、住居として使われていたと想像できます。昭和42年と48年に県立博物館により、発掘調査が行われ、縄文時代(約12000〜2300年前)の遺跡と認定されました。
 調査で、6枚の土層が確認され、そのうちの4枚の層から縄文式の土器が見つかりました。最下層から出土した隆起線文土器が一番古く、貝殻文土器、押し型文土器、阿高式土器と続きます。
 特に、隆起線文土器は、全国的に見ても数少ない出土品で、佐世保市の泉福寺洞穴、岩下岩陰、吉井町の福井洞穴でも、同じ文様の土器が発見されました。これは、北松浦半島で、縄文時代の草創期に人類の活動が始まったことをあらわし、この盗人岩岩陰もその一つであったと考えられます。
 また、貝殻文土器や押し型文土器も縄文時代の早期という古い段階での土器で、西有田での縄文文化の成立を考える上でとても重要なものです。
 土器は、煮炊きに使われ、食べられるものの数が飛躍的に多くなったと考えれれ、堅いものをやわらかくし、あくを抜くこともでき、生活の安定と人の体格にも大きな影響を与えたと考えられます。
 豊かな縄文文化が約1万年も続いたわけが少しわかるような気もします。
 
盗人岩岩陰遺跡