上本村の堤 A南川内堤(みなみんこうちんつつみ)
さもじろ(砂門城)の堤を取材していたら、近くの西川静生さんと南武士さんが、色々教えてくださいました。
「南ん川内(こうち)ん堤は、ふたあつ(2つ)あって、下ん堤は、もともと、よっぞうさんとじゃったとじゃん。」
「よっぞうさんていうぎ、好蔵さん(南好実さんのおじいさん)のこと?」
「うん、そがんばい。よっぞうさんが、上内野んもんに加勢うけて、造らしたちゅう話たい。そいば、後から本村がもらいうけたったい。」
「へえ、そがんこと知らんやった。」
「上ん堤は、後からできたちゅう話たい。」
南ん川内ん下ん堤
南ん川内ん上ん堤
南武士さん  西川静生さん
稲の生産に欠かす事のできない水の確保について、今回は、上本村の岩谷地区にある大堤より上の堤に限って、取材してみたが、昨年調査した「さもじろの堤」とあわせて、大堤ができるまで、これらの堤の果たした役割は、とても大きい。南ん川内ん上ん堤は、現在、鯉の養殖場としての機能を果たしているが、下ん堤は、かんがい用として今もその機能を果たしている。
 ちなみに、この「南ん川内」の地名は、本村の人以外はあまり馴染みがないが、砂門城を中心とした北ん川内に対する地名である。
いつ頃、築堤されたのかは、今調査中。
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