一口法話 2020.12 桃谷法信

この一年をふりかえる
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 師走になりました。不安にさいなまされながらの年の暮れです。コロナウイルス禍の出口が見いだされないまま、冥界をさまよっている感じで迎える年越しになりそうです。
「人生苦なり」というお釈迦様の金言が実感されます。
 苦諦、集諦、滅諦、道諦の「四諦八正道」こそ、苦しみから抜け出す法として、お釈迦様が示されたのが仏の教え、仏になる教え=仏教です。。苦に埋没するのではなく、苦が転じられる世界を示してくださいました。
 ウイルスに立ち向かうのではなく、ウイルスと共存することにシフトすることが今求められているのではないでしょうか。、(医療関係者や為政者からは、怒られそうですが、)
 今年は、ほとんどの行事が、中止になったり、規模が縮小されたりですが、新しい発見があったり、これまでにない取り組みも試みられるようになりました。世代の大きな転換期の真っただ中を生きている、そんな気がします。

 この一年をふりかえってみることにします。
●主な行事(御正忌、初御講、春の彼岸会、お盆参り、秋の彼 岸会、永代経法要、毎月のむりょうじゅ会)を中止すること なく、衛生に気をつけて、開催できました。
●お通夜やお葬式、法事なども工夫してできました。
●永代合祀「安穏廟」を鐘撞堂の中に建設しました。
●境内東側の白壁の下の石垣が崩れたので、補修しました。
 修理中に他の石垣が崩れたり、ケンチブロックのひび割れを 発見して、その補修や、ついでに、白壁の漆喰塗りも行いま した。

★新シリーズ「地域の古いもの」
  ⑫ お才腰かけ石(下内野)
その2










先月号からのつづき (疑問)
①なぜ、川のそばに腰かけ石があるのだろうか?
②なぜ、身重のお才や5才の長男勝之助を同道したのか?
③栗木峠や他の道を通らなかったのはなぜか?

夫、山本右京の注進より、早く、相浦の飯盛城に事の急を告げたことの不思議は、諸説があり、伝説や語り継ぎによって、不思議物語として、聴くものや語るものを興奮させながら、伝わってきたのでしょう。しかし、どこをどう通ってお才峠まで行ったのか、この腰かけ石伝説を手掛かりにして、推論してみようと思います。
*まず、山本右京の屋敷がどこにあったのか、
現在の大木宿、桑の木原、山本のあたりは、川野村という地名であったそうですが、現在の山本地区あたりに住んでいたのではないかと推察できます。それは、有田盛(左高)の目付役として、早くから有田唐船城に赴任していた山本右京が、いち早く、相浦の飯盛城に急を告げる場所として、最適の場所ではなかったかと考えられるからです。
*次に、急ぎ隠密裏に急行できる行程と言えば、栗木峠を通る山道ではなく、川筋を遡って分水嶺に到達できる間道を、前もって調べ、ことが起こった時には、その川筋を辿ると近道であることを認知していたと思われることです。
 そのことは、現在の有田町役場の南を流れる曲川校区と大山校区の境目にある柄杓川を辿って、内野川へ出ると、お才さんの腰かけ石にたどりつくことで想像できるからです。 また、山本右京が、家財道具はそのままにして、わずか5歳の一子勝之助、身重のお才を同道したのは、事の急を告げることが、命懸けの一大事であったからだということになります。

 時は元亀2年(1571)、織田信長が比叡山を焼き討ちにした年の暮れです。
 大雪の日であったと「印山記:左高(盛)の陰謀と山本右京の亊」には記されています。
 そして、明けて、元亀3年正月2日から20日にかけて、、西ノ岳を越えた柚木の相当(稲)原にて、有田勢と相浦勢の親兄弟親戚が敵味方の分かれて戦ったのです。
 山本右京は、遠矢で倒した武将が、わが父であったことは、五逆の罪を得たりといって、柚木の藤山神社の山王山にて、腹を切って果てたそうです。
 勝負は、相浦勢の勝利に終わり、有田勢は、四十人ほど討ち死にされ、心やすからず有田へと引きあげたそうです。









●12月の行事予定(住職動静)

1~30日 お取り越し在家報恩講(ご希望に応じて )
     *日程は下記のように予定していますが、ご希望に応じます。

4日 武雄市朝日小学校人権集会 説法ライブ
日 在家報恩講(上本舞原、佐世保方面)
6日 在家報恩講(舞原団地、佐賀方面)

6日 伊万里栄町歌う会
12日 在家報恩講(原明上)
13日 在家報恩講(原明下)

13日 むりょうじゅ会 (19時30分~)
    *終いお講は、中止します。 

     (*恒例の女性部の美味しいお斎は、ありません。)
14日 立部高齢者サロン 説法ライブ
19日 在家報恩講(上本・岩谷。)
20日 在家報恩講(上本・迎)

23日 伊万里栄町歌う会
24日~30日 在家報恩講(有田、大山、伊万里、その他)
31日 除夜の鐘
(どなたでも撞きに来てください。23時40分~福引あります)   * 撞き終えられたら、そのまま本堂へどうぞ。年越しお正信偈をお勤めします。

 親鸞聖人の遺徳を偲ぶ「在家報恩講(ほおんこさん)」は、真宗門徒にとって、
大切な相続の法事です。
仏具のお磨きや仏前の荘厳をして、親鸞さまのご苦労を偲びながらお勤めしましょう。今年の御伝鈔は、上巻第4段、六角夢想
(ろっかくむそう)の段を拝読します。
  ●冬休みに、雅楽の練習をします。主に宗祖讃仰音楽法要の練習です。

白い袈裟の六角堂の観音様が 親鸞さまに夢のお告げをされる 上巻の第4段の場面です。 建仁3年1203年31才の 出来事です。 (右手の群集は、後の関東の お同行だと言われています。)

 
 建仁三年(1203)親鸞聖人31歳、4月5日寅時 午前4時頃、夢の告を受けられました。「今まで僧侶は、妻帯してはいけないと禁止されていましたが、あなたが、宿業によって妻帯されるなら、私が玉のような美しい女性になって、あなたの妻になりましょう。そして、一生、あなたがお念仏の教えを広めることを助け、あなたの臨終の時には、極楽に導き往生させましょう。これは、私の願いなのです。親鸞よ、この私の願いを、みんなに説き、聞かせなさい、」とおっしゃいました。

左側の薮の中に、腰掛石がある。
腰掛石の祠
腰かけ石