2021.2 桃谷法信
なかなか、コロナウイルスは、おさまりません。しかし、
この1年の騒動で、色々な社会問題が、洗い出されてきました。これまで当たり前のように思っていたものが、そうではなく、目に見えないものや気づかないことが、いかに影響しあっているか、新種のウイルスの出現が、地球温暖化と深くかかわっていること、国や地方自治体の働き、ウイルス以上に感染している差別意識、在留外国人の実態など、思いつくものだけでも、相当数に上ります。
働き方や生活のリズムも大きく変わり、これからどうなっていくのだろうという不安や懐疑心も増幅しているように思います。
人と人とのつながりも、面授ではなく、オンラインやネットでのやり取りが主流になってきました。
そのことに伴って、ネット上の犯罪も増えています。電話のオレオレ詐欺より、ハッカーによる個人情報の盗難、それも知らぬうちに被害に遭っているものが多いようです。その手口は、WiFiなど、無線ランによるもので、特に人の集まるところに仕掛けられていて、有名なブランド名が並んでいるアプリには、注意が必要です。スマホは便利ですが、危険をはらんでいることを心得て、使うようにしましょう。
と、言いながら、僕も変なアプリをインストールしているかもしれません。パソコンの場面には、「あなたのPCは、ウイルスに侵されています、」と時々出てきますが、無視しています。アクセスしようものなら、本当に感染する恐れがあるからです。
ともあれ、石川五右衛門が、南禅寺の山門の上から
「浜の真砂は尽きるとも、世に泥棒の種は尽きまじ。」と叫んだとか叫ばなかったとか、
そんなことを考えていると、親鸞さまの言葉が、口を継いで出てきます。
{煩悩具足の凡夫、欲は多く、怒り、嫉み、妬む心多く隙なくして、臨終の一念に至るまで、留まらず、消えず、絶えず。」と、人のことではないよ、自分のことだよ、と指摘してくださっています。
その親鸞さまの言葉を集めた「歎異抄」先月に引き続き、今月は、第9条を味わってみます。
「いささか所労のことあれば、死なんずるやらんと心細くおぼゆること煩悩の所為なり」
(少しでも病気に罹ると、死ぬのではないかと心細く不安に思われるのも煩悩の仕業です。)と、冷静に受け止められています。自分を取り巻く環境の変化によって生じる不安の根源が、自分自身が抱えている煩悩にあると、お念仏を通して知らされていたからこそ、厳しい現実を冷静に受け止めることができるのでしょう。
自己中心的な「我執(がしゅう)」=煩悩こそ、不安や差別を生み出す原因です。
コロナ禍の中で、自分と向き合い、この我執(煩悩)を深く考えたいものです。
ウイルスより怖いものは、私たちの中に潜んでいる煩悩だと思います。
●2月の行事予定(住職動静)
10日 伊万里栄町歌う会
13日 むりょうじゅ会(初御講の「お斎」は中止します)
*7時30分 お勤めと法話(歎異抄を味わいます。)
22日 有田町下山谷 高齢者サロン(中止になりました)
24日 伊万里栄町歌う会
新シリーズ「地域の古いもの」
⑮ 千代亀城跡と人形岩(大木、牧)
広瀬から、大木に向かうセラミック道路の南に小高い山があります。平安時代以降、西有田地方を支配していた松浦源氏の一党、有田氏は、大木と山谷の境にある有田川が蛇行する要衝、唐船城を拠点にしていました。
見張り所からの展望は、西ん岳の栗の木峠、その後方の山ん寺城、北は根子城、岸岳城、南西の深代城や岩谷城、はるか相浦城方面が見渡され、西南北は、有田川の蛇行で自然の堀で囲まれ東側の牧方面に大きな溝を掘って、外敵に備えていました。
戦国時代の終わりごろの群雄割拠で、佐賀方面も大きな動きがありました。佐賀の竜造寺軍は、有田氏の唐船城攻めの拠点に、弱点である東側の高い山を選びました。
千代亀城跡は、山の頂上にあり、幡立て穴は、そのままで現存しています。写真でもわかるとおり、その先端には、見張りに都合のいい自然の岩が突き出しており、見た目から、人形岩と呼ばれています。そこから眺めると、眼下に唐船城が、箱庭のように見て取れ、敵の動きは、一目瞭然だったと推察できます。
頂上の平地 幟立て穴が残っている