「前(さき)に生れし者は、後をを導き、後に生れんものは、前を訪(とぶら)え」
、道綽禅師(562~645 中国の僧、浄土真宗の七高僧の一人)の安楽集の言葉です。
「先に生れたものは、後に生きる人を導き、後の世に生きる人は、先人の生きた道を問いたずねよ。」と頂いています。

 今、私たちは、さまざまな困難や矛盾、思いがけない想定外の出来事に右往左往しています。コロナウイルス感染、地球温暖化、マイクロチップによる海洋汚染、二酸化炭素大量発生によるオゾン層破壊、それに伴う異常気象、少子高齢化の進行、拡大する格差、それに伴う貧困問題、世界各地の紛争は、難民を生み、急速なグローバル化は新たな差別を生んでいます。
・・・・数えればきりがありません。 
「人生は苦なり」とお釈迦様はおっしゃいました。
苦渋の決断、さまざまな場所で、そんな決断がなされています。今まで何ともなかったことに、深い洞察が求められ、さまざまな対応が求められる時代になりました。リーダーの先見性が問われます。

 これは、現代だけの問題ではなく、いつの時代も抱えてきた人間の苦悩の表出です。
 父や母は、戦争や飢えの中を生き抜き、祖父や祖母も差別や偏見の中を生き抜き、曾祖父や曾祖母は、、、ご先祖様方は、それぞれの時代の苦悩の社会、娑婆堪忍土を生き抜いて、いのちのバトンをつないでくださいました。
 人間共通の苦悩を、ウランバーナ(倒懸:逆さに吊るされた状態)と言います。釈迦十大弟子のひとり、目連尊者の苦しみをそのように比喩表現されたお釈迦様の教えです。
 親しかった人との別れは、悲しくて辛いものです。目連さんも母の死後、母が餓鬼道に堕ちた原因は、自分たちを育てるための報いだと思い、己を責めます。その責め苦をウランバーナと言います。目連さんは、考え抜いた末、母がむさぼった 行為とは反対の行為、つまり、布施行を実践します。(3月中旬の啓蟄から、7月15日の自諮の日までの期間は、虫や微生物を踏み殺さないために、修行僧は外出を控え安居という室内修行をするので、托鉢しない修行僧はひもじい状態が続く)











 その間、目連さんは、修行僧のために、果物や飲み物などの
食料を布施供養します。その結果、母が救われたことを知り
、躍り上がって喜んだことが盆踊りの起源だそうですが、産み
育ててくださった母への供養は、母の苦労を思い、母の願いを問い訪ねていくことだと悟ります。盂蘭盆経には、その顛末がしたためてあります。
 私たちのご先祖様も苦悩の人生を生き抜き、いのちをつないでくださいました。お盆は、その御苦労を思い、あらためて、ご先祖様を偲び、お礼を申しましょう。それが、ウランバーナからニルバーナ(涅槃:悟り)への出発点だと思います。

★7月行事(住職動静)
 
 有田は、7月御盆です。むりょうじゅ会、月参りはありません。
●お盆参りの日程(10日~15日)
10日(土) フリーご希望があれば、お参りさせていただきます。TEL下さい
11日(日)
 フリー(ご希望があれば、お参りさせていただきます。)
12日(月) フリー(ご希望があれば、お参りさせていただきます。)
 13日( 初盆、上本、舞原団地
 14日(
 原明、下本、蔵宿、内野、有田方面

 15日(木) 黒川、楠木原、北川内、大山方面
    上記のように、予定していますが
*お盆参りを遠慮される方、*日程のご希望の方は、
 090-4989-1768(住職携帯)か・
 46-3748(法泉寺、桃谷)まで、ご連絡ください。

7月住職動静
 2日敬徳高校雅楽指導 6日退教協役員会 7日総区長区長会合同協議会 
 8日 有田町児童対策協議会 16日 敬徳高校親鸞聖人御命日法要法話
 17-18日 佐世保大念寺永代経法要出講 21日,28日 
伊万里栄町歌う会  
 26-30日 初心者水泳指導(曲川小プール) 8月2-7日 雅楽教室(法泉寺)








 新シリーズ「地域の古いもの」
 ⑲
器のルーツ縄文土器(坂ノ下遺跡)(山本)  

 山本地区に、坂ノ下縄文遺跡跡があります。
(5月号参照)
郷土史家の先輩、吉永直さんの田んぼの下から、たくさの土器や石器が出土し、昭和42~48年の調査により、21基の土坑(どこう:食物を貯蔵した穴)が発見されました。そこから出土した縄文式土器は、坂ノ下式と呼ばれ、波状の口縁に凹点文(おうてんもん)があり波型の胴部には滑石(かっせき)が混入しています。他の遺跡から出土する土器には見られない特徴です。


下の写真が、その一部です。     遠くに黒曜石の宝庫「腰岳」が見えます
有田町歴史民俗資料館 所蔵     手前の水田の下から出土しました。

  

 
C14という時代測定によって、3849±78年と判明し、およそ4000年前に作られたものということがわかりました。
 有田磁器は創業400年ですが、4000年以前からここの土器は作られ、生活必需品として活躍していたことがわかります。
 縄文時代は、土器のみならず、衣食住の基本の時代ともいえます。狩りや採集だけでなく、栽培していた様子やすりつぶして、粉にして、加工されていたことも出土品から判明しています。
 先月号でも述べたように、国見山系の南東山麓の広葉樹林(照葉樹林)の豊富な食糧と、扇状地に位置しているため、豊富な湧き水と、目の前にある黒曜石を産出する腰岳を望むという場所は、縄文人が住むのには最適でした。こんなに密集した縄文遺跡の分布は、全国各地に残されている縄文遺跡の中でも、珍しい遺跡群です。(黒曜石の加工場所跡、多数あり)


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一口法話    20217 桃谷法信

ウランバーナ(盂蘭盆