法泉寺の入り口に、霜月練りという
柿の木があります。
この柿の木は、不思議な柿の木で、縦長の
渋柿です。柿色に色づいても、渋があります。
 ところが、天(雲)が高くなり、北風が吹き始め、気温が低くなると、いつの間にか甘柿に変身します。太陽の熱や光で、実が大きくなり、冷たい風が吹いてくると、渋がそのまま。甘さに変わるのです。神無月から霜月に代わるころに甘くなるので、先人は、霜月練りという名前を付けたのでしょう。そして、その甘さは、独特で、富有柿やキャラ柿にはない不思議な甘さがあります。去年剪定したので、今年は、大きな実がいっぱいなりました。24日の永代経法要にお参りしてくださった三十数名の方々にお土産として、持ち帰ってもらいました。

 柿の渋は、色々に変身します。
平安時代から、木材保護や染料、防腐剤などたくさんの用途に利用されてきました。また、防水、防腐、防虫、消臭、抗菌、抗ウイルスなどの効果があり、日本人の暮らしの中で大変役立ってきました。柿タンニンの主成分は、ポリフェノールで、インフルエンザやノロウイルス、O157 等の病原菌を不活性化させる効力があると考えられています。
 去年の9月に、奈良県立医大の免疫学、微生物感染症学の教授たちが、柿渋タンニンが,新型コロナウイルス(SARZ-COV2)を1万分の1に不活性化することを確認したと発表しました。

 さて、甘くなった霜月練りの柿の渋は、どこへ消えたのでしょう。 いえいえ、消えたのではありません。渋がそのまま、甘さに変わったのです。
 親鸞さまは、渋が甘さに転じることを、氷と水を例に出して次のような御和讃を示してくださいました。

 無碍光仏の利益より 威徳広大の信をえて
 必ず煩悩の氷とけ すなわち菩提の水となる。

 罪障功徳の体となる 氷と水のごとくにて
 氷多きに水多し 障り多きに徳多し


 私たちの罪や穢れは、自力では到底解決できないけれども、無碍光仏(阿弥陀如来)の本願力回向によって、救われるのだというメッセージです。


 
●法泉寺の総代に是石哲生さん就任。

 10月4日に役員世話人会を開き、下記のように役員、世話人を決定しましたので、お知らせします。役員、世話人の方々、どうぞよろしくお願いいたします。また、10年間の長い期間総代を務めるめてくださった西川豊さんには、感謝しかございません。ありがとうございました。

   役職    旧    新
 総代(責任役員)  西川豊さん  是石哲生さん
 副総代 西川忠義さん   岩永久止さん
 顧問  岩﨑勝美さん  西川豊さん、副島信一さん
 会計  岩永久止さん  岩﨑清利さん
 壮年会  副島信一さん  小川一正さん、南昭彦さん
 むりょうじゅ会  南好実さん  久保田徳雄さん
 女性部  岩永恵子さん  岩永みどりさん
     
 世話人 南昭彦さん、岩永辰徳さん、久保田勝世さん
 世話人 岩崎美穂子さん、久保田徳雄さん、田中正子さん
 世話人 吉永博さん、百武義人さん、百武和子さん
 世話人  押垂芳宏さん、是石哲生さん
 世話人 吉永功さん。原和子さん 

 
★11月行事(住職動静)
 
 
6日 有田猟友会鳥獣供養法会 17:30~法泉寺
 13日 むりょうじゅ会 夜7時半~  
 
 ●11月住職動静 
 *4-6日 明善寺順番報恩講 *7日 有田小学校150周年記念行事
 *10日 総区長会。10区区長連絡会  *10日 郷土史研究会 
 *10日,24日 伊万里栄町歌う会
 
*14日 佐賀県防災協総会・研修会
 
*20日 松浦組住職寺族研修会 22日有田町本町高齢者サロンお話
 *23日 上本秋まつり(三葉館9:00∼12;00)

  *法泉寺子ども雅楽の演奏 AKMアミューズの公演、劇団「美たん中」のお芝居、
  マルシェ広場など

 *25日 松浦組総代研修会(教法寺)*28日 佐賀教区帰敬式
 *敬徳高校雅楽指導
(水曜日:コロナ感染予防のため不定)


 
「地域の古いもの」
 ㉓ 狩場の(たぶ)の樹山本)

 有田町山本にある樹高約20m、根廻り12mの大きな木です。昭和46年7月に、町の天然記念樹木に指定されています。椨の樹は、クスノキ科の常緑広葉樹で、建築材や家具材に利用され、樹皮は、乾燥させて、線香の材料としても利用されています。
 この木の根元には、小さな祠があり「狩場明神」と刻まれています。地元の人たちが狩りに出かける前後に、祈ったり、お礼をしていたのだと想像できます。ここを拠点にして、山本地区の道をたどると、国見山中の盗人岩岩陰遺跡に通じることから、泊りがけで狩りに出かけていたのではないかと思います。
 この椨の樹は、新日本名木100選(読売新聞社、平成2年)に選ばれ、全国にその名を知られることとなりました。
 腰岳で取れる黒曜石を使った矢じりや銛(もり)を携えて、狩りに出かけていく縄文人の生き生きした姿がそこにあったと勝手に想像しています。
 ちなみに、大木の地名は、このような大きな木がいくつもあったことが、その名の由来ではないかと思います。町史執筆委員であった故吉永直さんの説では、八郎山の大木神社の境内にある椎の木や、国道202号線の以前パチンコ屋のあった近くの阿弥陀堂の傍の阿弥陀の松は、大木地区全体を覆うような巨木で、「朝日さす阿弥陀の松は、枝は広瀬に、葉は桑木原、影は山本」という俗謡にその大きさが歌われていたと聞きました。


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一口法話    202111 桃谷法信

渋柿・柿渋