大雨特別警報が発令されたお盆、雨を避けながら8月のお盆参りをさせていただきました。有田方面は災害も少なかったのですが、一昨年に続いて、武雄や大町は、大変な被害で、慰めの言葉もありません。紙面を借りてお見舞い申し上げますとともに、出来る限りの支援をしたいと考えています。
 災害に加えて、コロナ感染も変異株が広範囲に広がりつつあり、人間の力では、抑えきれなくなってきた感があります。感染防止のためのワクチンや免疫カクテルを頼みにするより、食事、睡眠、適度な運動、手洗い、うがい、外出自粛など自分でできることをやっていくことが大事ですし、何よりも、自分にできる免疫力アップを心がけることが重要です。その一つとして、

朝に礼拝,昼は汗,夜は感謝で眠りましょう

を心がけましょう。
 朝のお勤めは、脳内を活性化させ、心肺機能や循環機能を高めます。それは、経本を「目」で読み、「口」で発声し、「耳」で聴聞するからです。視覚、聴覚、発声を同時に働かせるので、脳内が活性化します。それに加えて、長く発声し続けることによって、心肺機能が適度に働き、血液の循環がよくなります。カラオケでも同じ効果がありますが、3~4分で終わります。お経は、正信偈で25分、発声し続けます。集中力も鍛えられます。
 健康のために歩いたり、体操したり、ジムに通うことも大切ですが、根本的な体力アップは、お経を読むことに限ると思っています。
 感染防止のために、マスクをするのが当たり前になっていますが、ひとつ懸念されることがあります。熱中症も心配ですが、もっと、心配していることは、表情が見えにくいことで、生きる力がそがれていくのではないかということです。
 それは、フリードリッヒの実験に表れています。
神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世は、学問好きの王でしたが、愛情を注がれない人間は、どう育つかの実験をしました。
戦争孤児や親のいない赤ちゃんを修道院に集め、マスクをして表情のわからないようにした修道女に食事、排せつ、風呂の世話以外は、言葉をかけず、あやしもせず、目も見ないやり方で育てさせました。すると、ほとんどの子が1年未満で死んでしまい、ひとりだけ、6歳まで生きたという実験結果があります。

 生物としての生きる力を奪ったこの実験は、人間が発達していくためには、エサだけではだめで、愛情やスキンシップが成長を促すことを教えています。マスクをすることが、どう影響するか、心配しています。引きこもりや一人暮らしの方々の生きる力は、どうなのかも併せて考えなければいけない問題です。

 ところで、赤ちゃんの脳の発達に大きな影響を与える接し方を先日、知りました。①テレビ ②スマホ ③動くおもちゃ ④いないいないばあ、この4つのうちで、一番赤ちゃんの脳が反応するのは、④の「いないいないばあ」でした。
 SNSやスマホやパソコンですぐに情報を得られるようになったこと、ズームや在宅ワークなど、時代は変わりつつありますが、失うものの大きさや大切さが忘れられていくようです。

 親鸞聖人は、面授を大切になさいました。途中に機材(マイクやスピーカー)をいれないで、直接,生の声(空気の振動)が、心に響くということです。そうすることで、教えが伝わっていくと確信できます。コロナ感染防止対策とは相反しますが・・・・・・
 
 
★9月行事(住職動静)
 4日 松浦組仏壮安居夏季研修会 光雲寺
 13日 むりょうじゅ会 夜7時半~  
    全戦没者追悼法要
 (9/18 国立千鳥ヶ淵法要お取り越し)
 18日 平和の鐘 13:15~
(全戦没者追悼法要に合わせて) 
 21~23日 秋の彼岸法座 夜7時半~ 
      
23日は、朝10時からの法座もあります

●9月住職動静
1日 有田町総区長会 3日、有田町大野高齢者サン説法ライブ 
9日 有田町岩谷川内高齢者サロン説法ライブ 
8日,22日 伊万里栄町歌う会  
10日 郷土史研究会 
20日 上本地区敬老会(中止
) 24日有田町8区高齢者サロン
*敬徳高校雅楽指導(コロナ感染予防のため不定期に開催)



 新シリーズ「地域の古いもの」
 ㉑ 地形(黒髪山系

 有田特有の白磁と黒曜石は、どうして生まれたのでしょう。
それは、約300万年前の地殻変動の賜物なのです。下図を参考に説明すると、始め、黒髪山は、佐世保から大町にかけての大きな山塊でした。それは、杵島炭層と呼ばれる石炭層がつながっていることからわかります。また、玄武岩に安山岩と流紋岩質の重なったカルデラ式黒髪火山が、そのことを証明しています。流紋溶岩が急速に冷やされて黒曜石ができ、ゆっくりとした熱水作用で、白磁の陶石が生まれました。
 この大地の恵みは、数万年前から豊かな縄文文化を産みだし、400年前からは有田焼の恩恵を与えてくれました。ご先祖様たちは、知恵を出し合って、分業という生産体制を構築し、それぞれの専門的作業を生かして、共同、共和の暮らしを創造してこられたのです。流紋岩石のおかげで、地盤が固く、地震にも強い特異な地形と言えます。黒髪山や青螺山、牧山、腰岳の黒髪山系と陥没の残骸のあとをとどめる国見山系(外輪山)に挟まれた豊かな西有田の圃場は、この歴史的創造によって恵まれた豊かな大地です。23水や46水と呼ばれる大洪水は、岩谷川内のウータン(大谷)の堤が決壊したために大事になりましたが、急斜面の西側にある堤の管理をしっかりやれば、災害はそんなに起こらない有難い地形だと思っています。武雄や大町の度たびの水害に遭うたびに、有難い地形に合掌するばかりです。




























 新シリーズ「地域の古いもの」
 ㉒ 大木代官所(大木宿

 有田皿山代官所の前身として、大木に代官所がありました。寛永12年(1635)伊万里、山代、山谷牧の藩の牧場(馬の放牧)や山林を監督する「横目付」として赴任した山本神右衛門重澄(葉隠の著者山本常朝の父)は、陶磁器の制作のために薪入用のために乱伐された山林の保全を確保するために、1637年に826人の日本人陶工を追放し(佐賀藩の命により、多久美作守が執行)、陶器から磁器へと有田焼を制作転換させます。しかし、生産能力が落ちて、運上金の上納が減少したので、陶工たちを復職させますが、1647年にまた追放します。しかし、陶工たちの反発にあいます。どう説得したか想像しかありませんが、粘り強い交渉や伊万里に買い付けに来ていた大阪商人との交渉の末、それまで 銀35貫匁(約7000万円)だった運上金が、銀77貫680匁(約1億5500万円)に倍増しました。そのような動きの後、大木代官所は有田白川に移され、1647正保4年、山本重澄は、初代皿山代官として、有田焼を佐賀藩の財政を支える産業に育て上げたのです。しかし、旧西有田にある原明や広瀬や仏ノ原の大規模な登り窯跡は、そのような歴史の中で、何れも短期間でその役割を終えることになりました。また、波佐見(大村藩)と三川内(平戸藩)と有田(佐賀藩)の境にある「三領石」は、その名残の史跡です。(山林の保全のためのものです。)
 
 
大木代官所跡の標柱      略地図

*大木代官所跡


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