一口法話    2022,12 桃谷法信

 生きとし生けるものすべて、自己の望むところに生を得たる存在ではなく、時、所を選ぶことなく、生まれてくるものです。己の生まれたその場所と時代を基にして、それぞれが行動していく、それが人生です。
 明治の念仏者、清澤満之師は、親鸞さまの影響を受けて「漏扇記」に「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して任運に法爾にこの境遇に落在せるもの、即ちこれなり」と記している通りです。
 難しい文章ですが、要するに、境遇に適応して、生かされている時と所で、一生懸命生きていくということだと理解しています。
 親鸞さまの一生は、まさに「落在」を受け入れる人生であったと言えるのではないでしょうか。
 日野の里で生をうけ、9才の時、青蓮院での得度、比叡山での20年間の修業、吉水の法然様のもとでの信心確立、越後での流罪生活、そして、常陸の国での布教、60才を過ぎての京都への帰還、90年の生涯を、場所を違えても、その場所その場所で、阿弥陀さまのご本願を仰ぎつつ、法然上人の教えを広め、お念仏を悦ぶその御一生は「落在」の一言意外に言葉が見つかりません。
 今年のお取り越し報恩講(在家報恩講)は、そのことを味わいながら、御伝鈔下巻第2段「稲田興亡の段」を拝読して、親鸞さまのご遺徳を偲びたいと思っています。
「聖人、越後の国より、常陸の国を越えて、笠間のこおり、稲田というところに隠居したまふ。幽栖(ゆうせい)を占むと言えども、道俗、跡を訪ね、蓬戸を閉ずといえども、貴賤ちまたに溢る。仏法弘通の本懐ここに成就し、衆生利益のの宿念たちまちに満足す。この時、聖人、仰せられてのたまわく。救世菩薩の告命を受けし、いにしえの夢、すでに今、符号せり」
と御伝鈔に記されています。
 流罪の身を越後の国で苦労され、罪を許された後にも京都には帰らず、常陸の国を目指された経緯は、ほとんど知らされていませんが、法然上人のお弟子であった宇都宮某氏を頼られたとか、稲田頼重氏から招へいされたとか、妻の恵信尼さまの実家である三善家の領地があったとか、諸説ありますが、詳しくはわかっていません。
 また、鹿島神宮には、仏典の蔵書が多数あり、御本典「教行信証」の著述のためだとも想像できます。
 ともあれ、京都、越後、長野善光寺、常陸と転々としながらも、行くところ、行くところで、できること、信念を貫く姿勢
が、「落在」という言葉に結集されています。
 稲田の草庵や小島の草庵など、関東(主に茨木や栃木)で、教化されたエネルギーの大きさは、別格本山西念寺を始め、関東二十四輩の御旧跡があることからも想像できます。一説によると、その当時のお弟子の数は、百五十万人とも言われています。



 親鸞聖人が越後(えちご)の国より常陸(ひたち)の国を越えられ、稲田
の草庵にてご教化されているところが描かれています。
越後の居多が浜をお通りになっているところ(右)、 稲田の草庵でご教化されているところ(左)
 
 


新シリーズ「お念仏を悦ぶ人々」⑥ 
 岩永久男さん(還るところのあってよかった。)
 2001年6月(久男さん80才の時)中国、内モンゴル自治区のアミダの森へ沙漠緑化の植林に行きました。
気温48度の砂漠での作業は、乾燥しているため、そんなに暑くありませんでした。日陰は30度ほどで寒いくらいでした。
 久男さんは、御文章を持参されていて、就寝前に御本山西本願寺で拝読されているところと同じ個所を、拝読されました。僕は、低頭して聴聞しました。
      
 沙漠の果てに何本もの竜巻が起こり、撮影している岩永久男さん(左)真ん中の写真は、休憩中。
(右)は、御正忌準備の写真、前列右から二人目が久男さん
 岩永久男さんは、数少ないニューギニアからの帰還兵でした。衛生兵として、たくさんの戦友を看取り、何月何日艦砲射撃があったとか、ニューギニアの地名も精通しておられました。記憶力も抜群でしたが、80才を過ぎてから、パソコンで戦記をブログの様に綴られていたのは驚愕ものです。その久男さんが「帰るところ(故郷)のあってよかった」から「還るところ(お浄土)のあってよかった」と気づかされたばい、と語り、お念仏を心底、悦ばれていました。また、不退出往生などという難しい語句もよく口にされていました。朝のお勤めの締めくくりは、毎日、本山で拝読される個所の御文章を拝読されていました。ご法義の難しい質問をされて僕も勉強させられました。有難い人でした。令和元年12月21日100歳での往生の素懐をとげられました。

 ★12月行事(住職動静)
  1~30日 お取り越し在家報恩講(ご希望に応じて )
  *日程は下記のように予定していますが、ご希望に応じます。
日 在家報恩講(上本舞原、佐世保方面)
4日 在家報恩講(上本舞原、舞原団地、)

7日 総区長会 10区区長連絡会
15日、22日 伊万里栄町歌う会

10日 在家報恩講(原明上)
11日 在家報恩講(原明下)

13日 むりょうじゅ会 (19時30分~)
    *終いお講は、中止します。 

     (*恒例の女性部の美味しいお斎は、ありません。)
16日 曲川小学校運営委員会
17日 在家報恩講(上本・岩谷。)
18日 在家報恩講(上本・迎)

23日~30日 在家報恩講(有田、大山、伊万里、その他)
27日 松浦組報恩会

31日 除夜の鐘
(どなたでも撞きに来てください。23時40分~福引あります)   
* 撞き終えられたら、そのまま本堂へどうぞ。年越しお正信偈をお勤めします。

 親鸞聖人の遺徳を偲ぶ「在家報恩講(ほおんこさん)」は、真宗門徒
にとって、大切な相続の法事です。
 仏具のお磨きや仏前の荘厳をして、親鸞さまのご苦労を偲びながら
お勤めしましょう。
今年の御伝鈔は、下巻第2段、稲田興亡(いなだこうぼう)の段を拝読
します。
落在(らくざい)
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