おウタばあちゃんは、中国の人たちを「チャンコロ」とか「テンソク」などと蔑んで呼んでいました。又、「すぐ、アイヤマーちゅうて泣く」などとも言っていました。戦時中、満州の奉天で、旅館の女将をしていたということを聞いたことがあったので、支配者側の言葉だということが想像できます。戦後、満州から引揚てきて、祖父法隆の後添えとなり、法泉寺の坊守になり、僕をかわいがってくれました。
おウタばあちゃんのことを思い出して書いてみようと思ったのは、10月16日、教職員退教協の親睦旅行で、針尾島浦頭の引揚記念資料館を見学したからです。すぐ近くにあるのに、初めて訪問しました。戦後、海外からの引揚者は、629万人ですが、そのうち佐世保の引揚援護局の浦頭へは、139万6468人の人が上陸しておられます。DDT散布や検疫などをすませて、約7キロの山道を歩き、現在のハウステンボスの所にあった援護局まで移動させられ、衣類や日用品を支給され、南風崎駅(はやんさきえき)から、それぞれの故郷にむかわれたそうです。その中に、おウタばあちゃんもいたのだと、妙に不思議な気持ちになりました。
今回の退教協の旅行は、戦争の傷跡めぐりのようだった感があります。一日目、僕は、鳥取にいたので、参加できませんでしたが、長崎の原爆資料館や浦上川のそばの市民体育館を建てる際の基礎工事の時に出てきたおびただしい数の原爆被災者の遺体のことなどを運転手さんから聞きました。夜の宴会は、モモカンバンドの演奏で、宴会が盛り上がり、生演奏の伴奏で、参加された先生方もたくさんの歌を歌い、添乗員の辻さんの盛り上げかたも素晴らしく、卓袱料理を堪能しました。
二日目は、真珠湾攻撃の指令電波「トラトラトラ、ニイタカヤマノボレ1208」を送ったといわれている旧佐世保無線電信所(針尾送信所:1918大正4年から1922年にかけて建設された海軍の送信施設)西海橋のすぐそばにある3本のコンクリートの塔で、高さが136m、基底部の直径が12mもある煙突状の塔です。一辺300mの正三角形の頂点に3本配置されています。この無線塔から送信された指令が、どれだけの人を殺戮したのでしょうか?
この10月は、戦争の傷跡を、考えさせてくれる月でした。
ノーベル平和賞に、日本被団協が受賞し、長く佐賀県の会長をされていた西有田大木宿の鶴屋のご主人、吉富安美さん(よく、学校の平和集会でおはなしをしてくださいました。)や長崎への修
学旅行の時にお世話になった谷口すみ輝さんの事を偲ばしてもら
い、原爆後遺症に苦しみながら、平和を願う思いを繋いで下さった多くの原爆被災者のかたがたの地道な活動に敬意を表し、その思いのバトンを受け継ぐ高校生平和大使の「微力だけど無力じゃない」活動を応援したいと、あらためて思いました。。
★東井義雄先生の言葉⑪
お米のいのち、心から拝んでいただく」
数えきれないほどのお米の一粒々々が、
一粒々々のかけがえのないいのちをひっさげて、
いま、この茶碗の中に
わたしのために
怠けているわたしの胃袋に目を覚まさせるために山椒が
山椒のいのちをひっさげて
わたしのために
梅干しもその横に
わたしのために・・・・・
白菜の漬物が 白菜のいのちをひっさげ 万点の味をもって
わたしのために
もったいなすぎる
もったいなすぎる
★11月行事予定(住職動静)
2日 佐賀猟友会有田支部「鳥獣供養」 17:00~法泉寺本堂
7日、20日 伊万里栄町歌う会 (13:30~15:00)
13日 むりょうじゅ会 夜7時30分~
21日 伊万里老人クラブ芸能大会出演(栄町歌う会)
14日? 仏ノ原デイケアー施設にてお話
23日 上本まつり 三葉館
26日 曲川小学校 運営委員会14:00~
28日 佐賀県退教協 秋の学習会 佐賀教育会館 10:00~
しっこりさん ⑧かんねーさんの甘酒
おいちょばっちゃんがたん、前ん川の石のゴロゴロししとーとこで、
足ん先ば、水につけながら、しっこりさんな、ボソボソ、話ださす。
こないだ、又、かんねーさんに会うた時、「また、オエーってすっことんあっ
たとさい。」って言わしたけん、「どがん亊?」って聞いたぎー、
「相知のおばっちゃんとけー用事のあったけん行ったとサイ。そいぎんた、
おばっちゃんの、遠かとこば、よう来たね、ちょうど良かった、きゅうは、白飯
ば炊くとこやっけん喰うていきんしゃい。ちゅうて、言わしたけん、こりゃ、よかっ
た、昼飯にありつけたばい。と思うて、待っとったら、米の炊くっよかー匂いの
してきたけん、釜屋んほうば見てみたギー、羽釜ん蓋ば取って、炊きあがっ
た湯気ん立ち上ったご飯ば、飯杓子で、茶碗につごうとしよらすとこやった。
つごうとして、おばっちゃんの下ばむかした時じゃった。おばっちゃんの鼻ん先
から、ツーって鼻水ん垂れて、ハガマの中きゃ、落ちゃけたとさい。そいば
見たかんねーさんな「うわーっ、こりゃあたまらん、鼻水んひゃっーたご飯ば
食べさせられたらたまらん。ちゅーて「急に用事ば思い出したけん、帰らんば
なん。さいならーちゅうて、帰らしたて。
そがんことんあって、何日かして、また、用事のでけて、おばっちゃんとけ、
行かした。そん日は、ぬっか日で、汗びっしょりならしたけん、おばっちゃんの
出してくいらした よう冷えた甘酒ば、グイーって飲み干して、アーうまかった、
もう、いっぴゃーくれんね、ちゅうて、にひゃーめも、グーって飲み干さしたと
サイ。
「うまかーっ」て言わしたぎ、おばっちゃんの 「そん甘酒ャー4,5んち前ー
お前が喰わじーはしったけん、あの飯で作ったとばい。」
かんねーさんな、また、オエ―ってならしたて。
2024,11桃谷法信
戦争の傷跡