人間は、猿が進化したものだという人がいますが、本当でしょうか?
猿と人と、どちらが優れているかというと「そりゃあ、人間に決まっとろうもん」という答えがほとんどです。あなたはどう思いますか?
木登りは、猿が上手です。眼鏡をかけた猿はいません。いつもキョロキョロ目を動かしているからです。50歳を過ぎた頃、視力が落ちたので、猿のまねをして、キョロキョロしていたら、いつの間にか老眼鏡をかけずに新聞が読めるようになりました。(もちろんアントシアニンを含んだ赤や紫系の野菜をいただきましたが・・・)
猿の視力は、想像を超えています。瞬時に熟れた果実を見つけることができるそうです。逃げ足も速く、仲々つかまりません。鳴き声より、テレパシーで意思疎通をしていると聞いたことがあります。
何が言いたいか?猿と人間の能力の違いを取り上げて、比べることは、何の意味もないということです。これは、猿と人間の関係だけでなく、どんなことでも、どんなものでも違いを見つけて優劣をつけることなどできないということです。
仏説阿弥陀経に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という御文があります。青い蓮が黄色い蓮を蔑んだり、赤い蓮の花が白い蓮をうらやましがったりせずに、それぞれの光を放ち、お互いを尊重しつつ、周りを荘厳しているという例えです。
「みんな違ってみんないい」という事です。
「年寄りは素麺バイ」という人がいます。素麺を茹でる時、鍋が小さかったら、素麺を折って湯がきます。
「素麺は、折ってもよか、折らんでもよか、どっちかというと折らん方がよか。」
「年寄りも、居ってもよか,居らんでもよか、どっちかというと居らん方がよか。」
ワッカもんと年ヨイと比べる、意味のない冗談です。
若者には若者の良さがあり、年寄りには年寄りの良さがあります。違いを見つけ、比べるところから、苦しみや悩みが出てきます。基本的人権の尊重は、日本国憲法の三本柱のひとつです。それぞれの個性を尊重しながら、人権週間のある年末を過ごしましょう。 お念仏、怠りなきよう、お過ごしください。
★東井義雄先生の言葉⑫ 人間に屑はない。人生に無駄はない。
もう、三十年くらいも前のことではないかと思いますが、雑誌「文芸春秋」の随筆欄にある方が、「愛情利息論」という文章をお書きになっていたのが、しきりに思い出されるこの頃です。
夫が愛してくれることがないとか、友だちが冷たいとか、いろいろ泣き言を聞くことが多いが、嘆いているばかりでは、益々みじめになるばかりではないか、汲み上げポンプの水が出ない時、水が出ないと嘆いていないで、呼び水を入れる、そして、汲み上げの努力をすれば、入れた水も一緒になって戻ってくる、愛情が欲しければ、こちらから愛情の呼び水を入れ、汲み上げ、奉仕の努力をする。水が噴き出るまで、その努力を続ける・・・・・というような文章だったと記憶しています。
年を取って、これを思い出すのは、老人の生き方の上にも、これは、大切なことを教えてくださっていると思うからです。 年を取るということは、さみしいことです。社会的役割を失います。存在への関心も失っていきます。視力、聴力、脚力、体力も失います。しかも、それが速度を加えていきます。しかし、それが寂しいと嘆いておれば、ますます孤独を深めるばかりです。まわりに愛情を注ぎましょう。注いでも注いでも、なくなるものではありません。それが、心というものの不思議なところです。
ずいぶん力は弱くなりましたが、まだできることがあります。私自身考えてみても、声も充分出なくなりましたが、まだ、書くことができます。だから、手紙をもらえば、返事を書くことができます。手紙を投函に出かけることもできます。テクテク郵便箱のあるところまで歩いていると、水仙の蕾や梅の蕾が見つかったりします。木の葉のすべてを失いながら、じっと厳冬を耐えている榎も、榎の言葉で、語りかけてくれます。雪の下から、南天の赤い実が呼びかけてくれます。若い時には気のつかなかった木々の声が聞こえてきます。郵便屋さんが、手紙の返事を届けてくれたりします。孫が登校するのを見送りに出ていると、ふり返っては、何べんも手を振ってくれます。心は返ってくるものだと思われます。「老」も、いいものだなとさえ、思われてきます。
しっこりさん ⑨屁は、燃ゆるとぞっ
脇ん下で鳴らすまがいもんの屁じゃのうて、しっこりさんな、本物の屁も、
よう、ふいよらした。なんば、喰わしたこっちゃい、どがんでん、臭かったばい。
もろーたもんば、ないでん喰いよらしたけん、そのせいじゃったかもしれん。
そいけんかも知れんばってん、我がでも、気にしとらしたごたった。色々、
屁のことば、研究しよらすごたった。
「わいたちゃ、音んすっ屁と、音んせん屁は、どっちがよか屁か知っとうや?」って、子どんたちに聞かしたことんあったけんたい。
そがんこと考えたこともなかったばってん、「そりゃー音んすっ方がよかて
思うばい。元気んよかたい。」ちゅうと、「そん通り、勢いのあっけん、音のすっとばい。腸の調子の悪かときゃ、勢いのなかけん、すーっと音んせんばってん、匂いの臭かろうが。俺いも、時々、音んせんとば、ふったときゃ用心しよーと
バイ」ちゅうて、忠霊塔ん前ん石に腰かけらした。
「屁は、ガスやっけん、燃えるはずと思うて、屁に火ばつけたぎ、ほんなこて、燃えたとサイ」ちゅうて、股ばひろげて、ふんどしば、ちかーっとずらして、しん
のすば出して、ライターで火ばつけらしたばってん、いっちょん、燃えんとさい。
「燃えんたいね。」と言うたぎ、「ほんなこたー、屁は燃ゆるとぞっ」ちゅうて、
何べんでんさしたばってん、いっちょん、火はつかんやった。
「今、昼やっけん、まばゆーして、火の見えんとたい。今度あ、暗か時、して
見すっけん。」ちゅうて、岩谷んほうさにゃ、行ってしまわした。
★12月行事(住職動静) 1~30日 お取り越し在家報恩講(ご希望に応じて )
*日程は下記のように予定していますが、ご希望に応じます。
●7日 在家報恩講(上本舞原、舞原団地、)
●8日 在家報恩講(上本舞原、佐世保方面)
10日 西松浦教職員退職者協議会役員会 15:15~ろうきん伊万里
11日 松浦組 組会議員研修会 教法寺・山平
5日、19日 伊万里栄町歌う会(13:30~15:00)
X日 念仏奉仕 年末清掃活動 8時~法泉寺境内
今年は,銀杏の葉がまだ散りません。後日連絡しますので、iご協力お願いします。
13日 むりょうじゅ会【終いお講】 夜6時~
お斎の代わりに、お弁当を用意しています。
●14日 在家報恩講(原明上) ●15日 在家報恩講(原明下)
●21日 在家報恩講(上本・岩谷)●22日 在家報恩講(上本・迎)
●23日~30日 在家報恩講(有田、大山、伊万里、その他)
27日 松浦組報恩会 *冬休みに雅楽の練習をします。(日程は、後日配布)
31日 除夜の鐘(どなたでも撞きに来てください。23時40分~福引あります)
* 撞き終えられたら、そのまま本堂へどうぞ。年越しお正信偈をお勤めします。
親鸞聖人の遺徳を偲ぶ「在家報恩講
(ほおんこさん)」は、 真宗門徒にとって、
大切な相続の法事です。
仏具のお磨きや仏前の荘厳をして、
親鸞さまのご苦労を 偲びながらお勤めし
ましょう。 今年の御伝鈔は、下巻第6段、
洛陽遷化(らくようせんげ)の段を拝読します。
2024,12 桃谷法信
猿の能力、人の能力