一口法話    2024,3 桃谷法信

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表わす。ご存知、平家物語の冒頭。
 諸行無常は、ものごとは変化するという仏教の根本思想ですが、ややもすると、マイナスのイメージで語られることが多いように思います。しかし、今回の災害で、石川の被災者が、少しずつ復興する環境を肌で感じて、「諸行無常は、希望という見方もできるんですね。」と語られたということを聞いて、深く恥じ入りました。先月号で、無情という表現をしたことこそ、自力作善、自己中心のうがった見方だと反省しました。

 復興の兆しは見えつつありますが、まだまだ、これから苦労が続くと思います。少しばかりの義援金を送ったあと、何かできないかと考えていたら、幼馴染の福田昭夫さんが天井画を持参されました。第1集の天井画画集から、10枚ばかり増えていましたので、画集のVOL2の発行を思い立ち、これを販売して、売上収益を寄付しようと思い、早速製本して、知り合いに声をかけていったら、たちまち、50冊売れたので、とりあえず、5万円を義援金として、赤十字におくりました。本堂の賽銭箱の横に義援金箱を置き、冊子も置いていますので、よかったら、ご協力ください。1冊1000円です。3月のお彼岸まで、設置しておく予定です。


 

  ★新シリーズ 
東井義雄先生の言葉③ 
「自分のねうち」が見えると「おかげさま」が見えてくる
 
 一番大切なことは、この嫌われるのが当然のきたない私が、ほんとうは「孤独ではない」という事実に目覚めさせてい ただくこと。
 手が動いてくださる。脚がまだ働いてくださる。
 味がわからせていただける。匂いがわからせていただける。呼吸がはたらきつづけていてくださる。
 心臓が休むことなくはたらいてくださる。
 通じがあってくださる。小便が出てくださる。
 この醜いものが、大きなみ手のどまんなかに生かされてい るということの事実に、目覚めさせていただこう。
 老いて、見えにくくなってきたことは事実であっても、
 聞こえにくくなっていたことは事実であっても、
 まだ見えたら、まだ聞こえたら、それは、充分よろこぶに あたいすることではないか。脚が不自由になっても、まだ はたらいてくれたら、それも大きなよろこびではないか。 おかげさまの見える目をいただこう。おかげさまの聞こえ る耳をいただこう。おかげさまの世界を歩むことのできる 脚をいただこう。「おかげさま」の見える目いただこう。 そうなれたら、この老いさえも「老いのおかげさまで」と いう世界が拓けてくださるのだ。

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 ★3月行事 (住職動静)
3月13日 むりょうじゅ会 夜7時30分~
2日 上本区田荷用勘定監査  6-7日 退職教職員協議会九ブロ研究会(熊本) 
18,19,20日 夜7時30分~ 春の彼岸会法要 
       
(20日は、朝10時も勤めます) 
14日28日 栄町うたう会  29日 松浦組定期組会 16時 教法寺
 
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 子どものころ、有田近辺を物乞いして回っておられた「しっこりさん」(チョイナさん)のことを、妙に思い出したので、おぼろげな記憶をたどりながら、少しずつ書いてみたいと思います。方言で書いてみます。(次ページ)

しっこりさん ①ぺちゃのはなし

 「迎んほうから、しっこりさんの来よらす。」
とっこづみんとこで、遊びよった子どんたちゃ、しっきゃあ、そっちば向く。
「今日は、何ば、くいらすやろか?」 「どがん話ば、さすちゅう?」
 しっこりさんな、ゼンモン(禅門=乞食)たい。
 5銭もろおたい、米ばちょこっと、もろおたい、そいば、ちかっと破れた雑納に入れてブツブツ、ボソボソ、歌いながら歩いて来らす。
 「おどま、かんじん―かーんじん、あん人たちゃ、よか衆、よか衆、よか帯、よか着もーん」  「おどんが死んだちゅうて、だいが泣いちくりゅーか、裏ん松山、セミん鳴く。」
 どこで、覚えらしたとか、知らんばってん、島原の子守歌ば変拍子で、ボソボソ歌いながら歩いて来よらす。
 どこで拾わしたか知らんばってん、破れた地下足袋ば、荒縄でしばって、ひゃーて、女もんの絣のモンペばひゃーて、軍服のごたあ外套ば着とらす。
 頭は、白髪交じりの天然パーマで、二重瞼の目の下のふっくりふくらんどる赤ら顔の頬っぺたまで、届くごと伸びとらす。いつ、床屋に行かしたとやろか?
 歌も歌わすばってん、物ばもらうぎー、うれっしゃー踊いださすとさい。
手のひらと手の甲ば、変わいごし、叩ちゃーて、尻ばこりっこりって振らす。
そして、「チョイナ、チョイナ」って言わすけん、チョイナさんっても呼びよった。
 チョイナさんな、物ば貰わすばっかいじゃなかったばい。
子どもに、ぺちゃば、くいよらした。
 丸うかとや、四角っかとの児雷也や猿飛佐助の絵のきゃーてあっとば、どこで買うてこらすとやろーとも思わじー、ぺちゃば貰うたことん嬉しかけん、もう、しっこりさんのこたあ、忘れて、子どもたちゃ、ぺちゃして遊ぶとさい。
 しっこりさんな、もう、おらっさん。どけー行かしたとやろかー。 (つづく)

天井画は、2016年有田焼創業400年の記念行事の折、法泉寺本堂も、築400年経つので、有田の焼き物づくりを支えた食料を描いてもらい、格子天井に貼っていこうと思い立ち、絵付けの職人さんやデザイナーに依頼したものです。趣味のパッチワークやちぎり絵、子どもの絵もありますが、100点以上集まりました。
諸行無常、希望?
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