一口法話    2024,4 桃谷法信

微力だけど、無力じゃない
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 3月6~7日、熊本での九州ブロック退職教職員の研修大会に参加しました。佐賀県から9名で、東山代町川内野の山本三夫先生(83歳)が分科会でレポートされたので、アドバイザーとして、二里町作井手の落合隆夫先生と3人、西松浦代表として参加しました。

 65歳から90歳越えの前向きの退職者90名ばかりの会合でしたが、頭脳明晰、行動力のすごさに圧倒されました。 年金や医療、介護問題、少子高齢化問題、デジタル社会とマイナンバーカード、子ども子育て、マクロ経済スライドの問題点など、それぞれの健康問題は、そばに置いての熱い学習が展開されました。
 
 それよりも圧巻だったのは、高校生平和大使の有村理彩さん(九州学園高校2年)のスイスジュネーブでの活動報告でした。説得力のある話しぶりとその内容に心が震えました。自分が活動できるのは、この運動を続けてこられた先輩や、先生方、周りの人々や環境のお蔭で、感謝しきれないほど、有難く感じている 。だからその人々の思いや願いを、重ね合わせて活動していきます。というものでした。
 また、熊本被爆二世・三世の会会長の青木栄さんが、父親の被爆体験を語られ、平和の尊さ、戦争のはかなさを熱く語られました。久しぶりに心の底から感動しました。

 教科書にも掲載されている長崎の郵便夫、谷口
稜曄(すみてる)さんをはじめ、ヒロシマやナガサキの被爆者が亡くなっていき、語り部がいなくなるという心配がありましたが、なんの、被爆者二世三世とともに、若者がバトンを受け継いで、平和の種まきをしていることに感動したのです。

 核抑止論や防衛力強化がまかり通っている昨今、もっと根源的に戦争を抑止するのは、有村さんのような若者が、平和への思いを持ち続け、行動していくことが重要だと再認識しました。高校生平和大使のスローガン
  「微力だけど無力じゃない」
これは、平和運動だけではなく、全ての活動に言えることじゃないかと思いました。



東井義雄先生の言葉④

 雨の日には 雨のお恵み

 
 私が校長になってからのことです。遠足とか運動会とか、学校の行事をする度に雨が降りました。そのため「雨降り校長」と言われました。 定年を前の最後の運動会も測候所が「風雨注意報」を出しました。しかし、運動会ができるように準備を進めてもらいました。準備が終わった最高学年の子どもたちに体育主任の米田啓祐先生が、話していました。
「もしも、明日、雨が降っても、決して、天に向かって、ブツブツ言うな。雨の日には、雨の日の生き方がある。」
 私は思わず、本当にそうだと思いました。もし、雨が降ったら、明日を「雨が降ったおかげで、運動会はできなかったけれども、こんないい日にすることができた」と言えるような一日にすることこそが大切なことです。それを聞いて、雨にならなければいいが…という心の中の雲が、さっと晴れて晴れ晴れとしてきました。 
 翌日は、測候所の予報を全く裏切って、私の教員生活最後の運動会を見事にやってもらうことができましたが、おかげさまで、米田先生の言葉が、私の忘れえぬ言葉になってくれました。親鸞聖人がおっしゃっているように、決して、「良い日」「悪い日」は、ないのです。
「雨の日には雨の日の 病む日には病むの日の 老いの日には老いの日の かけがえのない大切な人生がある。」
 どの日もどの日も、大切な日、決して、決して「ブツブツ」で汚してはならないのです。
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 ★4月行事 (住職動静)
13日 むりょうじゅ会 夜7時30分~(御文章を拝読)
2日 退職教職員協議会役員会 15:15~伊万里労金 4日 上本老人会役員会
9日 会三本老人会総会 14日10時~曲川神社さくら祭 法泉寺子ども雅楽出演

22日 人形供養 有田セレモニーにて  27日 北川内高齢者サロン説法ライブ
 
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●ご協力ありがとうございました。
天井画画集の収益、102346円(21021+50000+31325)を石川県共同募金会へお送りしました。



しっこりさん ②幕ん頭の話
 破れた地下足袋ん、履かれんごとなっぎー、右ん足にゃ、ゴム草履、左ん足にゃズックば履ゃーて、ボソボソ歌いながら、歩いて来らす。
「チンカラホイ、チンカラホイ、チンカラ峠のお馬はホイ、やさしいお目眼で
チンカラホイホイ、チンカラホイ、お鈴を鳴らして通ります。春風、そよ風嬉しいね」
 今日は、なしてやいろ、「チンカラ峠」どん歌とうて来よらす。
何じゃいろ、嬉しかことん、あったとかも知れん。
 子どもたちゃア、今日もぺチャば、くいらすかもしれんちゅうて、しっこりさんの周りに集まってきた。
 そいどん、しっこりさんな、「今日は、何ーも、なか」ちゅーて、空っぽの雑納ば、あけて見せらしたけん、子どんな、がっかり。
「そんかわりい、今日は、おもしろか昔話ばしてやっけん。」ちゅーて、道んはたの石に腰ば、おろさした。
 「あすけー山ん見えよろうーが。あん山ん名ーば、知っとーね? 知らん?ありゃあ、幕ん頭(まくんとう)ちゅう山たい。低っか山ばってん、あの山ん、雲でかくるっぎー、絶対、雨ん降ってくっけん傘ば持って出かけんばならんとたい。」
 あん山ば、なして、幕ん頭って言うかちゅーぎ、今から千年ばっかい昔、黒髪山ん天童岩にゃ、岩ば、七回り半も巻き付くごたあ、太っか大蛇のおって、里に下りてきちゃあ、悪さばしよったけん、鎮西八郎為朝ちゅうお侍さんが、家来ば連れて来て、やっつけらしたちゅうことのあったとばってん、大蛇の逃げんごと、幕ば張ってさい、その陣地の中心になったとが、あの山たい。そいけん、幕ん頭って名前んついたちゅうことバイ
 ここんたりゃーそん時ん、大蛇退治につながりのあー名前のいっぴゃあ、あーとばい。戸杓、戸矢、大樽、中樽、小樽、蛇尾山、蛇焼谷、八郎山、・・まあだ、あったとばってん、忘れてしもうた。 そいぎー。(つづく)
(*前回、島原の子守歌は、五木の子守歌の間違いでした。)