一口法話    2024,5 桃谷法信

851才の誕生日
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 幕ん頭山を取り巻く登窯の場所

★平戸藩領       ★佐賀藩領
*葭の本窯跡      *原明古窯窯跡
*木原・江永           *南川原山
*三川内   幕の頭     *南山
          ●三領石
★大村藩領
*波佐見
*畑の原窯跡
 5月21日は、親鸞さまの851才の誕生日です。旧暦では、承安3年(1173)4月1日ですが、851年もの長きに亘り、全国の真宗門徒からお祝いを受け続けて、現在も約2千万人もの人々から祝福されている人が他にいるでしょうか?お釈迦さまやイエスキリスト、マホメッドなど教主と仰がれる人を除いて、他を圧倒しています。
 昨年の立教開宗800年、生誕850年の記念行事は、全国の各寺院で執り行われ、4月26-29日の築地本願寺の慶讃法要で
一区切りとなりましたが、親鸞さまが残してくださった阿弥陀如来のご本願のみ教えを、末永く伝えていく大切な行事でした。法泉寺でも昨年5月、炎博記念堂で、降誕会のイベントを開いて、大須賀ひできさんをゲストにお招きし、親鸞さまの威徳を偲ばせていただきました。
 今年は、真宗大谷派(東本願寺)僧侶の鈴木君代さんを招いて、法話ライブを計画しています。

 850年の重みについて、宗報3月号に本願寺資料研究所所長の赤松徹眞師は、次のように述べています。
「現代社会は、欲望の資本主義、人工社会とも言われ、自我の主張と自己承認の欲求は、さまざまな媒体にからめとられて欲望の肥大化が突き進んでいます。情報は満ちあふれ、見せかけ、仮想、偏見が拡大し、デマやフェイクによる扇動も横行しています。開発の名の下で、自然環境は壊され、世界各地での軍事衝突・暴力は、多くの人々の尊いいのちを奪い、人権が侵害される痛ましい現実がひろがり、日本でも新たな戦前が語られ始めています。
 私たちは、こうした混とんとした闇ともいうべき現代社会のあり様を問うことができているでしょうか。今こそ、私たちは、浄土真宗のみ教えを聞き開いて、自らと現代を問い、『御念仏こころに入れて申して、世の中安穏なれ、仏法広まれかし』との親鸞聖人のお示しを受けとめましょう。そして、現代社会の諸問題に向き合って、多くの人々との対話や交流を重ね、立教開宗の意義を伝えていきたいものです。」
 
 赤松徹眞君は、大学1年の時の同じクラスでした。成績は、群を抜いており、龍谷大学の教授、学長を歴任し、現在、本願寺史料研究所長として活躍されています。
 










東井義雄先生の言葉⑤

 仏法というのは、心の味を育てる宗教

 
 冬中しめ切っていた、寒くうす暗い納屋の中でしたのに、じゃがいもが、みんな芽を出しているのには驚きました。春の慈光は、こんなところのいのちをも、お見逃しではなかったのです。「一切の群生は光照を蒙る」という言葉が思い出されました。光は、どんな失意の中に生きている人をも、お見逃しなく注がれているのです。
 Mちゃんは、高校の先生方からも太鼓判を捺されていた大学入試を失敗してしまいました。お父さんに呼ばれ、お父さんの前に正座しましたが、顔を上げることもできませんでした。そのMちゃんに対するお父さんの最初の言葉は、
「Mちゃん、おめでとう」でした。あまりにも思いがけない言葉に、ハッとしてMちゃんが顔を上げた時、「Mちゃん、おめでとう。いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、いい勉強をさせていただいたね。お父さんもずいぶんいろいろな失敗をしてきたが、仏様は、その度に、お父さんにとって一番大切なことを教えて下さる気がして、失敗を大切にさせてもらってきた。Mちゃん、いくらお金を積んでも、いくら望んでも得られない、今度の失敗、どうか生涯大切にするんだよ。それと一緒に・・・」と、居住まいを正されました。大切なことを話される時のお父さんのくせです。
「自分が得意の絶頂に立った時にも、どこかに泣いている人があるということを、いつも考えられる人間になっておくれ。」Mちゃんには、これが仏さまのじきじきのお言葉のように思われたといいます。事実、仏様は、このお父さんを通して、Mちゃんを包んでいた失意の闇を破ってくださったのでしょう。
 
 ★5月行事 (住職動静)
13日 むりょうじゅ会 夜7時30分~(降誕会)
12日 上本かまどせき(区役)・どんつじ掃除(どんつじ祭り
13日 上本老人会日帰り旅行(西海市崎戸) 9・30日 栄町歌う会     18日 退職教職員協議会総会 10時~伊万里公民館 23日 西有田中学校同総会 
24日 法泉寺降誕会 子ども雅楽による音楽法要 鈴木君代さん(法話ライブ

*鈴木君代法話ライブは、25日(尊光寺・教法寺)26日(みやき正安寺)でも。
 








しっこりさん②ー2 幕ん頭(まくんとう)その2

「思い出した。」ちゅうて、しっこりさんの戻ってこらした。
幕ん頭のてっぺんに向けて、焼きもんば焼く登り窯のいくらっでんあーとば、思い出したけん、話ばしとこうて思うて戻ってきた。ちゅうて、道端ん元の石に座らした。
 原明に二本、あっとは、日本で初めて白磁の焼かれた所ばってん、竜門の陶石は、質の悪うして、長ごうは続かんやったごたあ。南山にも何本でん、あったごたあばってんようわからん。中樽んにっからもあったらしか。そいから、波佐見ん方からは、畑ノ原窯跡、三川内ン方からも、江永ン方からも、木原ン方からも、県境にゃあ葭之本窯跡ちゅうて、朝鮮系の焼きもんば作いよったところもあーとは、知んみゃあだい?全部、幕ん頭のてっぺんさん向けて、登り窯ん出来とうとバイ てっぺんから波佐見ン方にちかっと下ったところに、三領石の石塔のあー。、佐賀藩と平戸藩と大村藩の国境の石塔ば建ててあっとは、焼きもんば焼く焚きもんのといぐろばしよらしたけん、けんかせんごと建てらしたろごたあ。
 そいから、幕ん頭にゃ、金ば掘いよらした穴もあって、バケットで、原明ン方に運んで、精錬しよらしたごたあ話ば聞いたことのあるばってん、「たったら」ちゅう地名の残っとるとは、その名残かもしれん。そして、そのバッケットは、浦川格一ちゅう人の馬の飼葉入れに使いよらしたちゅう話ば、どこじゃいろで聞いたことのあったとさい。
 しっこりさんな、物ばよう知っとらした。物ば貰わすばっかいの禅門さんじゃなかったごたあ。学者さんのごたあね。
 
  下本の蓮華畑から見た幕ん頭