びっくり!ネパール
2012.9 桃谷法信
 7月29日〜8月2日、お釈迦様の誕生の地、ルンビニーがあるネパールに行ってきました。 ヒマラヤ山脈を見、エベレスト山を拝み、チベットへ続く仏教東漸の道も見てきました。
 ネパールは、インドの北、ヒマラヤ山脈の南の高地で、今話題のブータンと並んだ位置にあります。
 紀行文というより、びっくりしたことを、トピック風に連載していこうと思います。今月は、その第1回です。

 びっくり!@ カトマンズの町

 首都カトマンズのメインストリート、穴ぼこだらけのアスファルトの埃っぽい中を、人、車、バイク、自転車、三輪車、テイラーが、ほとんど信号がない道路を、譲り合いながら、クラクションが途切れることもなく鳴り響き、渋滞することもなく、溶け合っていました。生き生きした人々の動きは、昭和20〜30年代の日本の活気と似ていました。
 一歩横道に入ると、歩道は、たいがいレンガで舗装されており、牛が王様で、2mおきに犬が寝そべり、鶏、アヒル、鳩が、いたるところにいました。もちろん、人も。その道をバイクがクラクションを響かせながら通り過ぎます。おりしも月曜日、ヒンズー教徒の女性が、家族のためにお祈りをする日で、着飾った民族衣装で、眉間に赤や黄色の花の粉をつけた人々で溢れていました。
 
 びっくり!A 現地ガイド、ビニタさん

 案内をしてくれたビニタさんは、南山大学を出た日本語ペラペラの女性でした。「空港の取り付け道路に日の丸があるのは、日本のJICA(ジャイカ)が造ってくれたからです。」と説明して下さいました。 市内観光の途中で、「私の家に寄っていきませんか。」といって、彼女のお父さん(元日本大使)が作った梨やマンゴーをごちそうしてくれたり、「私は、ヒンズー教徒です。」と言って、スリランカから托鉢に来ているお坊様にお布施をしたり、「今度来られたら、一緒にチベットに行きましょう。」と誘ってくださったり、行きつけのお店(曼荼羅のお店、パシュミナ店、レストラン)へ案内したり、とても親身になってお世話してくださいました。
 
 びっくり!B ヒマラヤ遊覧飛行

 予定の遊覧飛行は、天候悪化でダメになり、がっかりしていたら、次の日早朝、飛ぶことができました。12人乗りの小型プロペラ機で、雨季の厚い雲を突き抜け、7000mの上空まで登ると、一面、雪をかぶったヒマラヤ山脈が見渡せました。エベレスト山に近づくと、一人ずつ、操縦席に案内してくださり、「あの一番高い三角の山が、エベレストです。」とパイロットが教えてくださいました。絶景でした。「なんて運がいいんだろう、ネパールに来てよかった。」と思いました。

 びっくり!C チベットへの道

 三日目の宿泊地、ナガルコットへ向かう途中、左に折れる道があり、「この道を車で7時間ほど行くと、チベット自治区の国境です。」と聞いて、「この道を何万人の三蔵法師が通り、何万巻の経典が運ばれたのどろう。」と思いました。ヒマラヤ山脈を越えていく途中で、雪崩にあったり、クレバスに落ちたり、氷に閉じこもったままのお坊さんたちが、どれだけいるのだろう。ヒマラヤを越えても、その先にある砂漠で、飢えたり餓えたり、砂嵐の中に埋もれたり・・・・
 毎日何気なくお勤めしているお経は、どれだけの命の上に、運ばれてきたのどろうと思うと、玄奘三蔵や鳩摩羅什三蔵、菩提流支三蔵など、名前の残っている三蔵法師をはじめ、名もないたくさんの伝道者のおかげで、仏法にであわさせていただいたのだと、しみじみ思いました。

 びっくり!D 学校とスクールバス

 街中の学校は、運動場が狭く、学校も小さいので、午前と午後に分かれたり、時間をずらして授業やテストをしていました。
学校の外には、送り迎えの保護者や、次の授業を待つ生徒、なぜか、警察官もいて、不思議な光景でした。街のいたるところに沐浴場があり、子どもも大人も、水を飲んだり、足を洗ったりしていました。郊外から通う子どもたちのスクールバスは、本数が少ないため、一度に乗れるように、バスの天井に板をはって、簡単な手すりだけの危なっかしい乗り物でしたが、乗客は平気で、揺られていました。



*びっくりネパールは、来月も続きます。
*皆様の御懇念による門信徒会館の改装工事は、彼岸ごろ、完成予定です。
 ご協力ありがとうございます。


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