地震、雷、火事、おやじ
何故この順番なのか、ずっと疑問に思ってきましたが、今回の熊本地方の地震で訳が分かりました。震度1以上の地震が5月初めまでに1100回以上も起っているわけですから、揺れるたびに不安な思いをされている回数が1100回以上になるということです。
 被災されている熊本や大分の方々には、どうお見舞いの言葉をかけていいのかわからず、片付けの応援にも行けず、募金活動や支援されている方々の後押しぐらいしかできません。忸怩たる思いです。
本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
 今回の地震で、たくさんのことを思い知りました。余震がこんなに長く続くこと。活断層の上で綱渡りのような暮らしをしていること。天変地異は突然やってくるということ。布団で眠ることがどれだけありがたいかということ。歯を磨けること。風呂にはいれること。雨風を防ぐ家に住めるということ。あったかい味噌汁がいただけること。・・・・普段何気なく当たり前にできたことが、大地の大きな支えの上にできていたことなのだということを、しみじみと深く味わわせていただきました。
 それに、鎌倉の祖師たち(道元様、栄西様、法然様、日蓮様、親鸞様・・・・など多くの比叡山の碩学が、時を同じくして、山を下りられたことの疑問も氷解したように思います。
 それは、鴨長命の「方丈記」によると、1185年に起きた元暦地震の記述、「山はくずれて、河をうずみ海はかたぶきて陸地をひたせり。土裂けて、水湧きいで、いわほわれて谷まろいびる。」とあります。これは、地震にともなう山体崩壊によって河の堰き止めが起きたことを示しています。この1185年の地震はマグニチュード7.4という激しいものでした。
この地震の震源は、琵琶湖西岸の断層帯で、岩盤強固な比叡山、比良山を揺らし、京都も震度6を記録しています。
 平安時代中ごろのの貞観大地震をはじめ、平安時代の終わりごろから地震が頻発し始め、 鎌倉時代の歴史書である「吾妻鑑」や日蓮上人の系譜にも2年に一度の大地震、旱魃、大雨。大洪水など、温暖化による天変地異の記録が、今日の状況ととても似ていることを示しています。
 それは、鎌倉時代の地震をはじめとする大洪水大雨の記録がまとめてある国立天文台の「理科年表」の鎌倉時代の記録を見ると歴然です。 それに加えて、精神的には、末法思想が世の中に広まり、源平の争乱、飢饉、疫病の流行など、想像を絶するような出来事が、巷に溢れていました。「方丈記によると以下のように示されていま
す。

養和(ようわ)の飢饉(ききん)の時、諸国の民は、ある者は土地を捨てて国境を出て放浪し、ある者は家をかえりみず山に住む。
さまざまな御祈祷がはじまり、特別な秘法などが行われるがまったく効果がない。
都(みやこ)は、何事も田舎に頼っているのに、何も運ばれてこないので、がまんできず、さまざまな財物を食糧と交換しようとするが、誰も目にとめようとしない。
たまたま交換する者は、金銭の価値を軽くし、穀物の価値を重んじる。乞食は路上に増え、悲しむ声は耳に充満した。
翌年は立ち直るだろうかと思っていると、立ち直るどころか、その上に疫病(えきびょう)までが重なって、いっそうひどい状況となり、何もかもだめになった。
世間の人々は皆飢えきっており、日が経つにつれて行き詰っていくありさまは、「少水の魚」のたとえにも等しい。
ついには、笠をかぶり、足を包んで、よい身なりをした婦人までが、一途に家々に物乞いをして歩いている。
このように困窮(こんきゅう)した人々が、今歩いていたかと見れば、いきなり倒れてしまう。土塀の前や道端には、飢え死にした者らの数が計り知れない。
死体を取りかたづける術もなく、死臭があたり一面に充満し、むごたらしくて目も当てられない。まして、河原などは死体の山で馬や牛車が通れる道さえない。
身分の低い農夫や木こりも気力が失せて、薪さえ乏しくなっていき、頼るところがない人は自分の家を壊し、それを市に出して売る。
どうしようもなくなった者が古寺に行き、仏像を盗み、堂の中の仏具を壊して取ってきて、割り砕いて売り出す。
濁りきった末法の世に生れあい、このような情けない行いを見てしまった。
しみじみと感動することもあった。お互いに離れられない夫婦は、その愛情が深いほうが必ず先に死んだ。なぜなら、わが身は二の次にして相手をいたわるので、ごくまれに手に入った食べ物も、相手に譲るからだ。だから、親子となると、決まって親が先に死んだ。
権勢のある者はあくまで欲が深く、頼る人が少なく勢力のない者は人に軽蔑(けいべつ)される。財産があると心配が多く、貧しいと嘆きが大きい。
いったい、どんな場所に住んで、どんな仕事をしたら、少しの間でもこの身を安住させ、心を休めることができるのだろうか。
総じて、生きにくいこの世をがまんしながら過ごしてきて、心を悩ませながら三十余年が過ぎた。その間、折々のつまずきを経て、自分のはかない運命を悟った。そこで、五十歳の春を迎えて、出家して俗世間を離れた。


 このような惨状を見るに見かねた鎌倉の祖師たちは、民衆の苦しみを少しでも和らげようと、山を下りて、野に下られたのだということに気づきました。
 大勢至菩薩が歩かれると、大地が震えるそうです、大地を震わせることによって「目覚めよ。真実に気づけよ。」と言う譬えであると味わわせていただきます。
 1日でも早く、この大地の揺れがおさまり、被災された方々の心の安穏が訪れることを願ってやみません。

 

仏像のまね⑮ 立っているか、座っているか

仏像には、立っておられる仏さまと座っておられる仏さまがあります。
阿弥陀如来や観音菩薩、お地蔵さまなどは立っておられます。
大日如来や薬師如来、奈良の大仏様(毘盧遮那仏)鎌倉の大仏様(阿弥陀如来)お釈迦様などは座っておられます。座像の仏様たちは、私たちがお参りするのを座って待っておられます。自力で往生を願う人々は、そこまでいかなければなりません。
 これに対して、浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来は、立っておられます。観無量寿経にあるように。住立空中尊と呼ばれているように、空中に浮かんで、いつでもどこでもどんな所へもすぐに駆け付けられるように前かがみになって、立っておられるのです。
 後ろを向こうが、寝ていようが、悩み苦しむ衆生の所へすぐに駆け付けるという意味です。それは、無終の仏さまと言われるように終わりのないはたらきです。ですから、お釈迦さまのように阿弥陀様の涅槃像(寝ているお姿)はありません。

●5月の行事

13日
(金)むりょうじゅ会 夜7時30分~      
14日(土)原明お講(岩永冨士枝さん宅)
28日(土) 朝9:00~ 土曜学校
       好評に付き「竹とんぼづくり」第2弾



2016.5 桃谷法信

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一口法話

大地、振動す