8月は、いのちを考えるときです。
ヒロシマ、ナガサキ、そして、終戦。
ある新聞に「623868981553に繋げ我ら今生く」という短歌が載っていました。
 623は、沖縄平和の日、3月26日から始まった沖縄地上戦で亡くなった方々は、23万人以上、当時の沖縄の人の4割が亡くなっています。
 8689は、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下。死者は、戦後も合わせて60万人を超えています。
 815は、終戦。戦没者は、310万人(そのうち1945年の終戦の年だけで200万人)・・・これらの多くの方々のいのちの上に、53の平和憲法ができあがったのです。 戦後71年、戦のない日本は、世界に誇る9条を持つ平和憲法のおかげです。
 浄土真宗本願寺派佐賀教区の各寺院では、8月15日の正午に平和の鐘を撞きます。法泉寺では、その日、いつでも、平和を念じて鐘を撞いてもらうようにしています。戦争で亡くなられたすべての人々を追悼し、戦後を生き抜いてこられた平和を願う人々の全努力に感謝しながら、鐘を撞きに来てください。
 
 ●納骨堂(倶会一処堂)の完成祝賀会が、7月30日夕方行われました。
・岩永公明さんが、たこ焼きの移動車で「名物公ちゃんたこ焼き」を提供してくださいました。汗だくになりながら、公明さんと奥さまが焼いてくださったたくさんのたこ焼きは、1時間の絶たずにさばけてしまいました。
・岩永久止さんと是石哲生さんは、バーベキューのセッテェイングをしてくださり、伊万里牛の焼き肉や焼きそばを焼いてくださいました。
・生ビールサーバーの19リットルはすぐになくなり、ウォーターサーバーの美味しい水もおいしいと好評でした。住職手作りの紫蘇ジュースもとってもおいしかったと声をかけてくださいました。















・中島豊彦さんの友達でプロドラマーをめざす柳生貴之さんのドラムソロも素晴らしかったし、住職を加えた永六輔さん特集のライブもみんな声を合わせて歌っていただきました。ドラムのまわりには、たくさんの子どもたちが集まって、俄かドラム教室も開かれました。大阪からきてくれた住職の弟の賢昭や是石哲生さんもドラムをたたいていました。
・延べ100人が参加し盛り上がった祝賀行事の間に、納骨堂(倶会一処堂)の契約が2基あり、もう、10基うまってしまいました。
・ご協力いただいた方々、本当にありがとうございました。
 落慶法要の中で、3名の方々に感謝状を差し上げました。
 *西川勝義様(5年間にわたり門信徒維持金の会計を担当         されました。)
 *岩永久止さん(納骨堂の屋根工事、納骨壇の作成に尽力         されました。)
 *岩崎和利さん(基礎工事、漆喰塗り、排水工事、水琴窟         作り)

●雅楽の交流



2016.8 桃谷法信

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仏像のまね
⑱ 檻の中の観音さま


 長崎県との県境近く原明から楠木原への町道200mぐらいの所に、小さな墓地があり、小さな観音堂が二つあります。一つは、藩境の警護に来ていた佐賀藩の若い藩士が地元の娘との恋に破れ、命を落としたことで、その菩提を訪うために地元の人が線香や花を供えている観音様、もう一つは、由来は定かではないが、朝鮮からの渡来仏としてのの観音様です。その観音様が檻に入れられて祀ってあります。20年以上前に盗難にあい、必死になって探し出した地元の人が、盗難防止のために観音様を檻に入れてしまったそうで、地元では物議をかもしています。
 最近は、有名なお寺では、盗難防止のためにレプリカを安置してあるところもありますが、衆生済度のために働かれる観音菩薩も檻に入れられては、手が千手であろうが、顔が11面あろうが、どうすることもできないのではないのかなと思いつつも、観音力で、閉じ込められたまま、衆生済度をされているのかもしれないと思うのです。
 
 ●8月の行事

 4日 有田町5区岩谷川内夏祭り 説法ライブ
5日 佐々町神田正福寺雅楽団より打ち合わせ
13日
 
むりょうじゅ会
14日 原明お講 吉永博さん宅

15日 平和の鐘(いつでもどうぞ)
19日 伊万里大坪小学童保育 お楽しみライブ
20日 伊万里栄町夏祭り 歌う会ライブ
24日 伊万里市牧島小校内同和研修会 講師
30日 土曜学校(朝9時~10時)

    
 
お盆参りの日程は、下記のように予定しています。
  
                 日程や時刻のご希望はお知らせください。

 地区
7~12日  福岡、長崎、その他、ご希望日程をお電話かメールで。
13水  初盆、佐世保(瀬戸越、矢峰、広田、早岐)
14木  佐世保(三川内、木原) 
15金  伊万里方面

いのちを考える月

一口法話