一月は長い?
 時間の感覚は、年を重ねるごとに短く感じられるものの様ですが、一月だけはなぜか、年を重ねるごとに長く感じられるようになり、今年は特にその思いが強く、不思議なことだと思います。
 元旦の修正会に始まり、4日の総代世話人会、8日のお磨き、お華束盛り、10日〜13日の御正忌報恩講、14日の原明地区のお講、お華束餅配り、民生委員役員会、民生児童委員協議会、学校生協理事会、総代会、厳教寺様への出講(11〜13日)、境内銀杏の伐採作業(23〜24日)、退職教職員協議会研修会、葬儀2回、毎週土日の法事、飼い犬ココアの入院と死、伊万里栄町歌う会の伴奏(15,29日)そして、父の祥月命日の法事と、立てつづけに行事が続くからかもしれません。
 しかし、一番ショックだったのは、犬のココアが死んだことでした。まだ、7歳で、痩せてはいるものの元気いっぱいでした。少しラブラドールの血が入っている小型の犬でした。その日に限って、エサが無かったので、御正忌のお供えおろしのビスケットをやって、ちょっと目を離したすきに近所を徘徊した5分ぐらいの間に、イノシシや野犬用の毒の入った何かを食べたらしく、その日のうちに、食べたものをすべて吐き、立てなくなり、手足が痙攣し、声も出なくなりました。しばらくしてから、有田動物病院へ運んだのですが、けいれん止めも効かず、抗生物質を打ってもだめでした。意識がもうろうとしているココアを入院させましたが、三日目(21日)の明け方に息を引き取りました。
 お通夜をし、葬儀をして、二代目リキマル(以前飼っていた犬)が眠る山に埋めました。スコップで山の土を掘っている時、ココアの色々な事が思い起こされました。山代の善楽寺さんへお彼岸の法座のお取次に行った時、お土産といって御院家さんは段ボール箱を下さいました。カサカサ音がするので、開けてみると真黒な子犬が入っていました。渋柿の根元に繋いでいたせいか渋柿を好んで食べ、ブロッコリーの芯が好きだったこと、体に似合わない大きな糞をして、僕の背の高さまでジャンプする痩せ犬でした。 雨がひどくても、雷が烈しくても外につないだままでした。もっとかわいがっていたら良かったなあと後悔しています。
 若くして死んだココアの事を思いながら、終末医療の事を考えました。葬儀があったり、終活をするのでむりょうじゅは、もう送らないで下さい、というお便りが来たり、理化学研究所の小保方晴子さんのチームが作製に成功した万能細胞(スタップ細胞)のニュースが伝わったりしたからかもしれません。
 生老病死から逃れられないいのちが、先端医療で覆るかもしれないというニュースです。確かに事故や病気で失われた機能を回復させたり、癌の抑制に貢献したり、医学の進歩と称賛されるかもしれませんが、ES細胞を作るために使われる受精卵の破壊が倫理的に見てどうなのか、移植した後の拒絶反応の問題など、今後の研究や論議が大切ではありますが、思うようにならないいのちを思うように出来るように研究が進んでいるのです。しかし、それは、新たな苦悩を生む種にはならないか、山川草木悉有仏性というのは、生老病死の中でいのち終わるのが自然であり、すべての生きとし生きるは、その中で死んでいくものなのだということです。それなのに、ひとり人間だけが、生老病死を越えようと必死になって、その結果、新たな苦悩の深いクレバスに落ちていく、そして、自然を破壊し、地球や宇宙を際限なく汚しています。まさに五濁悪世(時、思想、心、人間、いのちの濁り)、煩悩の渦の中で、底なし沼の欲の海へ引きずるこまれている様相です。
 いのちが大事という大義がまかり通って、人間がエゴをむき出しにして、どこへ向かおうとしているのか。病気の予防のために手洗いやうがい、消毒がやたらはびこっていますが、いのちを守る雑菌まで殺菌して、かえって抵抗力をなくしているような気がしてなりません。最近のインフルエンザの流行やノロウイルスの脅威は、そこらへんに原因があるのではないか、あるいは、誰かが薬の効能を確かめるために、バイ菌を振りまいているのではないか、うがった見方になってしまいます。
 犬や猫の目を見ていると、仏さまに見られているような気になります。万物の霊長である人間の在り方は、それでいいのかと問われているような気になります。ココアの眼もそのように光っていました。
 ともあれ、とても、とても長く感じた一月でした。
2014.1 by桃谷法信
法話のページへ