じぇじぇじぇ
2013.8 by 桃谷法信
 NHK連続テレビドラマ「あまちゃん」は、朝の楽しみの一つになっています。驚いたときに出てくる言葉「じぇ」は、「いつやるの?今でしょ。」と並んで今年の流行語大賞の候補になっています。「じぇじぇ」より「じぇじぇじぇ」と数が増えるたびに、驚きの表現が強調されます。 三連譜や繰り返し3回の効果は、聴く人の心を微妙に動かします。
 佐賀の方言に、とっとっと(取っています)、すーすーすっ(隙間風が吹いてきて寒い)、つーつらつー(スムーズにやってくる)、ぱっぱらぱー(いい加減、適当)などがありますが、佐賀県人が気づかないで何げなく使っている三連続言葉で構成されている井上ひさしさんの短編を偶然に見つけました。
 「不忠臣蔵」という小説で、吉良亭に討ち入りできなかった赤穂の浪人のお話です。何人も登場しますが、仇打ちに参加したいのに出来なかった人や、乞食に身をやつして吉良亭の裏口を見続け、運び出される肥え樽を数えて吉良の屋敷の人数を割り出したり、火つけをして、そのたびに屋根に登って吉良亭の見取り図を画いたりする人たちの話 (ちなみに元禄十五年十二月十四日までの一年間で江戸市中で九十件もの火事騒動が起こっていますが、ほとんどが吉良屋敷のまわりだったという記録ものこっているようです。) が物語としてまとめられています。
 その中で、御役目として、佐賀藩にやってきた渡部角兵衛という人の事が書かれた短編の中に、佐賀の方言というか、三拍子の言葉が出てくるのです。
 大石内蔵助から各藩に出されていた仕官の願いが、お家断絶ということになり、その断りの手紙を佐賀藩に持参した渡部角兵衛という浪士が、佐賀城下金立(きんりゅう)黒土原に隠棲していた「葉隠」の原作者、山本常朝の思想に惚れ込んで、近所に住みついて、常朝の力になるという話ですが、その中に出てくる言葉が、「いっちょ、ふたつ、みっつ」とか、「年の頃なら七、八、九」などと佐賀の方言を巧みに取り入れた構成になっている事に驚かされました。

 言葉を三つ続ける事や、三つ並べることは、記憶や印象を深くします。
 仏法でも、三宝(仏・法・僧)
       三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)、
    三部経(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)、
    三帰依文(南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧)、
    三蔵法師(経・律・論)などたくさんあります。

 親鸞さまや法然さまが尊敬された中国の善導大師も、三つの言葉で、説法されたとあるお坊さんから聞きました。
 その中に、「きょー、きょー、きょー」というのがあるのだそうです。初めの「きょー」は、経。二番目の「きょー」は、教。そして最後の「きょー」は、鏡。つまり、経典やみ教えは、鏡であると説かれているのです。
 鏡は普通、外見を映し出してくれますが、内面は見えません。内面を映し出して下さるものが、お経やみ教えであると善導大師は説かれたのです。
 ちなみに、得度や教師教習の場である西山別院の玄関には、大きな鏡があり、その上に「見目よりも、心を映せ、朝鏡」と書いてあったのは、三十数年前、得度をした時のことでした。なぜか、この「経・教・鏡」という言葉にであうたびに、その西山別院の鏡の上の言葉も思い出してしまうのです。

*今、佐賀大学に中国からの交換留学生としてやってきている李静怡(りせいい)さんは、16才の時、日本のテレビアニメ「新撰組」を見て武士道にひかれ、葉がくれの里である佐賀大学に来て、「葉隠」を研究し、「死ぬことと見つけたり」という事の他に「人間の一生誠にわずかのことなり、好いたことをして暮らすべきなり。」という文章から、「死ぬことに対する恐怖がないから、あらゆる困難の前で恐れず、夢を追いかけることができる。」というふうに解釈して、「葉隠」の凛とした生き方を中国の若者に伝えたいと考えておられるそうです。
 この記事(7・31付佐賀新聞)を読んで、蓮如上人の白骨の御文章を思い起こしました。
 「早く後生の一大事を心にかけて、念仏申すべきなり。」
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