一口法話

      時間をいただく 
    

 朝5時過ぎに起床して、お弁当を作っています。
この4月から、娘が佐賀のハローワーク勤務となり、6時過ぎに出ていくからです。
お弁当の献立を、毎日考え、いろいろ工夫することが楽しみで、卵料理一つにしても卵焼きの具の中身に、韮やたまねぎ、小葱の微塵切り、干しエビやかにかまなど彩りを考えながら作っています。しかし、それは不評で、娘曰く、「卵焼きは、卵だけ1」だそうです。ゆで卵にしても、固ゆでや半熟、タイマーを見ながら悪戦苦闘していたら、TVの料理番組で、ゆで卵は、熱湯から入れて6分で半熟、8分でやや固め、10分で固ゆでになるということを知りました。ずっと水からゆで始めていたので、次のゆで卵の時にやってみようと思っています。
 そんなわけで、6時前にお弁当作りが終わり、朝の時間がゆっくり過ごせるようになりました。6時ごろからの朝のお勤めは、観無量寿経の精読をするようになりました。読みづらい所を何回も繰り返し、読んでいます。「読書百遍意自ずから通ず」とはよく言ったもので、2500年前のお釈迦様の説法の場に、いるような気分になります。
 その後、楽器館にこもって、バイオリンと二胡と馬頭琴とギターを弾いています。
バイオリンは、ベートーベンのよろこびの歌やエーデルワイス、ビバルディーの四季の一部を、二胡は、蘇州夜曲、ふるさと、ヘイジュードなど、馬頭琴は、蛙の歌や子狐こんこん、ギターを弾きながら、家族になろうよ、糸、なごり雪などを歌っています。その後、家庭菜園のピーマンやオクラ、茄子や胡瓜、トマトやしし唐に水をやり、7時ごろ朝ご飯をいただくというリズムを楽しんでいます。
 学校に勤めていたころは、朝の時間に余裕がなく、バタバタしていたようです。かといって、これということはなく、時間に追われていたという感じです。時は金なりと言われていますが、意識や行動をほんのちょっと変えるだけで、時間をいただけるということに気づきました。
 付け加えるなら、目が覚めた時、毎朝やっていることを書いておきましょう。
 寝たまま目を動かして、天井の四隅を2秒ずつ見ます。5回繰り返し、足首を立てて、ひざの後ろを伸ばします。そして、腕をぐっぱーしながら伸ばしたり縮めたり、それも5回。布団











を跳ね上げ、両手両足をあげて、ブルブルふるわせてから起き上がり、ベッドに腰かけて、腕回しをします。前と後ろ20回ずつと決めています。これは、50歳ぐらいの時、軽い脳梗塞にかかり、共立病院の桃崎先生から「肩を200回回す」という宿題を与えられているので、かれこれ20年、続けている運動です。
 それから。スクワットを10回、ひざの曲げ伸ばしを深くして、相撲の所作をします。日馬富士を思いながら、低い姿勢の仕切り、琴奨菊のイナバウアー、貴乃花の四股、蹲踞を10秒してから朝トイレです。おしっこをしながら、必ず思い起こすことがあります。父が亡くなる前に尿が出なくなったこと、尿管結石の後のコーヒーのような尿と残尿感。おしっこがちゃんと出せることのありがたさに、思わず、お念仏も出てきてくださいます。
 とまあ、朝の一コマですが、よくよく考えてみると、毎朝、ほんとに充実している時間をいただいているなあと感激しています。


●桃谷法信 いのちを歌う!

 よそのお寺にお説教に行ったり、講演に呼ばれて、歌をたくさん歌っていますが、よく、「CDはなかとねー」と言われます。「ありません」とか「プロじゃなかけん。」と言いつつも、「赤嶺勝人後援会のDVDに収録されている「無財の七施」ば覚えて、歌いよっよ。」などと聞くと、下手な歌声でもいいんだと思って、有田陶器市の時に上有田駅の皿山カフェの前でやった路上ライブの様子をフェイスブックにあげてみたら、すぐに57人から「いいね!」13人からコメントしていただきました。
 面白くなったので、「無財の七施」や「おかげさま」「だんごむし」などを自撮りしてアップしたら、100人以上の方々から「いいね!」やコメントが寄せられました。
 よし、これはいいぞと思ったのですが、何せ自撮りですから、画像も音質もよくありません。ちゃんとしたものを撮って、アップする予定ですが、ユーチューブにもアップしていますので、パソコンやスマホで見ることもできます。「桃谷法信いのちを歌う!」で検索してみてください。お恥ずかしい歌が聞けます。








仏教的に食を味わう」②「典座(てんぞ)1

 不殺生戎、殺さぬということは、いのちを無駄にしないということだと思います。
 禅宗の道場には、食堂(じきどう)があり、そこには、欲望を抑え、いのちをぎりぎりで繋いでいく仏教的食事の基本があります。食材を無駄なく活かす、捨てるところがないように、工夫して調理する。その役割を典座と言います。
 禅宗の組である道元さまが中国で出会われた二人の老僧(二人とも典座)との逸話をもとにした「典座教訓」という書物に、食の基本、仏道修行の基本が説かれています。雑事と思われがちな炊事の中にこそ、修行の根本があるという教えです。
 その逸話の一つを紹介しましょう、
 

 「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座が海草を干しているのを見た。老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗だくになり苦しそうに働いていた。私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。

『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』 
老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』

『なぜ、今のような炎天の日中にされるのです』 
老人は答えた。『今のほか、いつを待てと言うのか』

私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」(ウェキペディア)より引用


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●6月の行事 

 4日 伊万里市牧島小学校PTA
            お説教ライブ
    
 13日 むりょうじゅ会
       夜7時30分~
      
 14日 原明お講(岩永光子さん宅
 

2017..6 桃谷法信