先月紹介した「五尺の軆借用書」に啓発されて、法泉寺の古い書や絵を改めて見てみました。これまでも何回となく目にしてきたのに、真剣さが足りなかったのでしょう、谷口藍田や頭山満、東郷平八郎などの書や作者不明の書画がしわくちゃになったままでてきました。表装するにも破れたり虫が喰ったりしていて、どうするものか迷っています。
 さて、その中に、「御真影略縁起」というものがありました。親鸞聖人四十才の時の自作の御木像についての由来が記され、越後の国新潟市真宗最初の霊場 金波山蒲原 淨光寺とありました。
 そして、付けたりに小さな字で、
明治四十三年八月七,八,九の三日間、曲川村淨源寺にて越後の国淨光寺様御苦労ありて御宝物御開帳●セラレタル●●●と書かれていました。

 交通の便も悪く、遠く離れた九州の西のはてまで、100年以上も前にどうして来られたのだろうと思い、また、淨源寺様でのお取次の書付が何故法泉寺にあるのだろう、などと疑問がわきあがり、その当時の御客僧の芳名帳が淨源寺に残っていないだろうかと思って、尋ねてみましたが、わかりませんでした。淨源寺さんだけでなく他のお寺で御開帳された記録があるのではないかと佐賀の教務所に訪ねてもだめでした。
 そこで、新潟の淨光寺様へ直接、問い合わせてみると、明治の終わりごろ、新潟市は、2度の火災があり、本堂が焼失した淨光寺様の御先代が、浄財を募って、全国行脚されたと聞いてはいたが、どこへ行ったかの詳細は分からないとのことで、「九州まで出かけていたのですね。」と驚かれました。
 新潟から佐賀、明治時代の出来事が時空を超えて、やってきて下さってあるんだと感激しました。
 おみのりは、このようにして、受け継がれてきたのだと思うと、体が震えました。
 「御真影略縁起」の書き下し文を謹んで掲載させていただきます。

 壇上に尊し奉る御真影は、高祖聖人四十才の御作、北国お別れの御真影なり。そもそもその監觴?を尋ぬるに、人王八十三代土御門院の御宇、聖人三十五歳にして御流罪の身とならせられ越後国国府の里に庵を結び給い、聖人仰せられて曰く、大師聖人若し亦流刑に処せられ給わずば我又配所に趣かんや若し我配所に趣かずんば何に依りてか辺鄙の群類を化せん、是尚、師教の恩致なりと御喜び遊ばされ越の浦辺の浜千鳥物 寂しき嵐の音 配所の月の曇りがち、南は山場、北は海、前も後ろも深草の京に知らずの夷国、族山かつを合手とし、三度の食事も御意ならず、御命掛けなる御苦労もさらに御厭ひ非らず、弥陀の本願末代に弘まり給ふ事のみ喜せられ、一丈二丈の雪踏み分けて、米山三里に屑浜七里荒浜荒砂の難所をも御厭い給わず勿体なや肉毛頂相の御頭には菅の穂笠をめさせられ到懸施無畏の御手には紫竹の杖を衝かせられ召も習わぬ蒲裏脚絆、素足に草履を召し給い千福輪相の御足には明の血塩を流させられ衆生済度の大悲より鳥屋野安土の辺土まで常々往返在りて他力本願の御法を聞かせて浄土へ参らせたしと茲の軒場や彼所の塚、一夜を明かして南無阿弥陀仏なもあみだぶつと声明の御声絶え間なく御よろこび遊ばされ、
 ある時、聖人、鳥屋野の里、放光院に一夜の宿を乞い給ひしに、時の住職を卯信と号り八宗兼学の僧なりしに、聖道浄土の法門を物語遊ばされ、我末法時中億々衆生起行修道未有一人得者、今は、末法の事なれば出離生死の要道は唯、易行道に若くはなし、されば、十悪五逆の罪人も一念弥陀を頼み奉る立●に光明摂取の益を蒙り准次の往生遂げんこと、円頓中の妙法は他力本願に若くはなしと遠脚宿縁時到り明来暗去の思ひより、金胎両部の法師も単信無二の色を増し泪の下に聖人え何卒御給仕申し度しと願い上げれば聖人はいとど殊勝に思し召され法名を法爾と賜り常隨昵近し奉る。
 然るに建暦元年冬の頃勅免を蒙らせ給ひ共、御帰洛の思召しを断け給ひ尚化を関東に施さんと法爾を召してノ給ふに、予は是より関東に赴くべし、汝は、此の庵に止まりて越路越後の同行を済度宜敷頼むぞと法爾を始め有縁の同行に御暇乞い在りけるに御化導蒙る門葉は跡を慕いて雨をそぞろに泣き悲しむ、法爾は何卒関東まで御供申し度しと願い上げれば、聖人法爾にノ給わく、汝、共に関東に赴かば、後に残りし同行は、奈落に沈むに疑いなし。されば、化導の替りには、予が相を刻み置くとて御年四十才の御姿を御調刻あり
 面影を代々に残して一箸に 弥陀とかしづく 形見ともなれ
と一首の御詠歌遊ばされ如何に法爾坊、善信こいしく思いなば吾魂は、其の木像に止め置くほどに、我無き世までも、其の木像を便りとして報謝の念仏怠るなよ。是は当座の別れなり、やがて、浄土の蓮薹に花の再会せばやとて今は名残の暇とノ給えば御弟子法爾は大地に打ち伏し御真影を押し頂き涙と共に御別れ申し、それより蒲原の草庵に日々御化導の御真影なるは、七百年の昔、我らが為め御苦労の御姿と直々対面と存ぜられ、称名諸共に謹んで拝禮

 越後国新潟市 真宗最初の霊場 金波山蒲原 淨光寺


明治四十三年八月七,八,九の三日間、曲川村淨源寺にて越後の国淨光寺様御苦労ありて御宝物御開帳●セラレタル●●●

10月行事予定

13日(月・祝) 夜7:30〜 むりょうじゅ会
         住職不在のため、若院の花凛が勤めます。
14日(火) 原明地区お講(前田末夫さん宅)
26日(日) 13:00〜 永代経・聞信徒総追悼法要
         ご講師 荒木祐子師
(脇田町高徳寺住職)
28日(火) 夜7:30〜 雅楽の練習
2014.10 桃谷法信  (今回は3ページまで続きます。)
時空を超えてA
法話のページへ