呼応
2013,4 住職:桃谷法信
 昨年の10月から有田小学校の2年生の教室で、発達障害の児童を主に見ていました。
卒業式の日、担任の先生の娘さんが卒業だったので、代わりに2年生の臨時担任として、卒業式に出席しました。卒業生と在校生がお互いに呼びかけをしますが、最後の方で、見守って下さったり、お世話をして下さった人々への感謝の中で、お家の人へのお礼を言ったら、出席していた保護者の方が全員立ち上がり、「あんなに大きかったランドセルが、窮屈になるほど成長しました。」と一人の保護者が言われた後、「ひとみちゃん」と呼ばれました。「はい。」と答えた立ち上がると、「ゆうすけ」と父親の声、「はい。」と歯切れのよい返事をして次の子も立ち上がりました。
 手混ぜをしたり、下を向いていた在校生の顔が一斉に前を向いて卒業生をしっかりとらえ、会場がしーんをなりました。お家の人が普段の呼び名で子どもの名前を呼ぶ、子どもがしっかりと返事をする。22名の卒業生の親と子が、名前を呼んで返事をするだけのわずかな時間でしたが、胸が熱くなり、涙がこぼれてきました。生まれてきたいのちに思いや願いを込めてつけられた名前。呼ばれても無視したり、不貞腐れて返事をしなかったことがあったかもしれません。しかし、今日は違います。万感の思いを込めて呼んだ名前。存在をアッピールする返事。
なぜ、それだけのことで、胸が熱くなるのでしょう。
 呼びかけに応じる(答える)、打てば響くような呼応は、見ていて、聞いていて、すがすがしくなります。親の願いに子が応える。
 その時、親は、阿弥陀如来だと思いました。「迷わず来いよ、必ず救う」という弥陀召喚、摂取不捨の誓願に、子はどれだけ応じているか、返事をしているか、とも思いました。「南無阿弥陀仏」と申す返事が、どれだけできているのでしょうか。
 そんなことを思った卒業式でした。
アンパンマン
 3月16日、17日 四国高知の西願寺(寺尾大栄住職)の永代経法要に御法縁をいただき、出かけました。
 岡山まで新幹線で行き、高知までは、南風2号という3両編成の気動車でした。それは、アンパンマン号と名付けられて、車体や室内にアンパンマンに出てくるキャラクターが描かれていました。
 瀬戸大橋を渡り、小歩危大歩危の渓谷を見ながら、アンパンマンマーチの電子音による案内に耳を傾け、JR四国はやなせたかしさんとコラボしたいい取り組みをしているなあと感心しながら久しぶりの列車の旅を楽しみました。 
 西願寺につくと、坊守さまは、叔母様危篤ということで岡山へ帰省しておられたので、住職自ら、接待して下さいました。住職の寺尾大栄君は、龍谷大学の同期で、宗教教育部という同じサークルで活動した仲間でした。夕食は、ステーキやサラダが用意されており、早くに前坊守さまを亡くされた彼は、一人暮らしが長く、料理の腕も一流でした。御客僧扱いでなく、友人として、食事もリビングで一緒にいただきました。ダイニングテーブルにのせてあった隣寺の永代経法要の案内に目が行き、ふと読ませていただきました。そこには、次のように書かれてありました。
 アンパンマンは、言っています。「何のために生まれて、何をして生きるのか。わからないまま終わる、そんなのはいやだ。」 蓮如上人の言われる後生の一大事は、今生の一大事の事でもあります。亡くなられた方をご縁として、そのことに気づかせていただきましょう。
 四国の鉄道も、お寺も、アンパンマンを大事にしておられるのだと思いました。
 歌詞をあまり知らなかったので、帰ってからユーチューブで聞いていたら、娘の花凜が、「その歌止めて」と言いました。聞けば、中学の3年間、アンパンマンと呼ばれていたそうでした。
 しかし、その歌詞は、蓮如上人が、御文章や御一代聞き書きに何回も出てくる「後生の一大事を心にかけて」という呼びかけを、現代によみがえらせて下さっているのだと思いました。
 合わせて、今回の御法縁は、民生委員や保健師、児童相談所、弁護士、警察、食生活改善委員、社会福祉協議会、行政などの連携についても寺尾住職から示唆していただき、ほんとうに意義のあるものでした。 
法話のページへ