2015.11 桃谷法信

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一口法話

ことばのちから

 コンビニ戦争という言葉は使いたくありませんが、そんな状況が近所で起こっています。
 ①有田駅前の九州陶磁文化館前に、今年の春、セブンイレブンができました。②有田町役場前にも9月に開店しました。③取り入れの終わったKさんの田んぼ(有田木材センターの北側)にも、すぐに地質調査がおこなわれ、セブンがやってくるということです。④伊万里口のセブンも地主さんとの契約が切れて、移動するということです。⑤それだけではありません。1kmも離れていない原明のバス停の所にもセブンができる予定です。⑥三代橋のセブンも最近リニュアールして新装開店しました。
⑦有田警察前のファミリーマート、⑧大野のセブン。⑨大木のファミマ。・・・車で10分圏内にこれだけのコンビニがあり、どうなることだろうと心配しています。

 ⑤の原明のセブンイレブン予定地にあるUさん宅は、立ち退きとなり、佐世保泉のガードをくぐったところに移転予定でしたが、セブンの都合で、立ち退きが早まりました。お仏壇を移すので「遷座法要をしてほしい。」と依頼があったので、お勤めさせていただきましたが、Uさんは、分家して独立されていたので、お仏壇のいわれを訊ねると、「結婚して家を建てるとき、本家のばあちゃんが、新しか家に仏壇のなかとは、家とは言わん、仏壇のなか家は小屋と同じばい。と言われたので、このお仏壇を求めたのです。それから、もう40年近くになります。でもそれはとてもよかったと思っています。子どもたちがよくお参りするようになったし、何かあったら、報告しています。」とおっしゃいました。

 分家したり、独立したりして、新築やマンション、アパートなどの借家に住み始める人は、なかなかお仏壇を求めようとしないのは、「仏壇を入れたら、死人が出る。」などという迷信に惑わされている人が多いからだろうと思います。それに、「ご先祖様は、本家が祀ってくれているから」という理由もよく聞きます。

 これは、自分が何によって生かされているという自覚のなさと、いのちのつながりを真剣に考えていないこと、本当に尊いもの(ご本尊)を敬う気持ちが希薄であることなどが考えられます。

 損か得か、正か邪か、善か悪か、貴か賤か・・・などのものさしが優先されていることを示しています。
 本当に尊いものに気づくこと、それが、人生を豊かに生きていくことのできる大切なことです。

 因幡の源佐さんは、火事で家を失った後、最初に求めたものがお仏壇であったと言われています。家財道具や炊事道具よりも源佐さんにとって大切なものは、阿弥陀如来さまであり、そのご本尊を安置するお仏壇であったということが、とてもありがたい話だと思います。
 Uさんのおばあさんの「仏壇のなか家は小屋と同じばい。」という言葉は、40年の年月、Uさんの奥様の中にあって、お仏壇の遷座法要のご縁がなければ、僕の心に届かなかったことでしょう。
 言葉は、ほとんどがすぐに忘れ去られるものでしょう。
でも、言葉は、何年何十年何百年たっても、光輝くものもあります。今まで何気なく聞いたり、知っていた言葉でも、何かのご縁で、急に輝きだすものもあります。
 一つの言葉で、傷ついたり励まされたり、人生が左右されたり、・・・・
 浄土真宗のご本尊が、言葉の仏さまになって、私たちの口から出てきてくださる不思議。
 ナモアミダブツ、なもあみだぶつ、世界の宝、お念仏が言葉となって、今、ここ、わたしを支えてくださっています。

 仏像のまね⑨ 住立空中(じゅうりゅうくうちゅう)
 

 阿弥陀如来の立ち姿を、観無量寿経に(住立空中)と示し、空中に立っておられると説かれています。
 その意味は、いつでも、どこでも、すぐに駆けつけて、拯済するというはたらきを姿で表現されています。立っておられるばかりでなく、ふんぞり返ったり、のけぞったりしないで、重心をつま先にかけた出発の姿「よーい、どん」の構えをしておられます。
 中国の善導大師は、衆生が浄土往生を願ったとき、阿弥陀如来のはたらきによって、往生が定まることを明らかにされ、臨終の来迎で救われるのではなく、信心獲得の平生業成(へいぜいごうじょう)の救いにあずかることを示されました。

 私たちは、空中に浮かぶことはできないにしても、常に安心して、前向きに、いつでも、どこでも、すぐに、かけだすことのできる姿勢を保ちたいものです。

 
 
11月の行事予定

*13日(火)PM7:30~ むりょうじゅ会例会
*14日(水)PM7:30~ 原明お講(百武博子さん宅)
*23日(月)鳥取 養源寺 お寺コンサート出演
*28日(月)法泉寺雅楽教室
       
毎月28日に行います。親子で、ふるってご参加ください。
*29日(日)有田食と農業祭り 子ども雅楽出演
*12月2日 下関、教覚寺様へ出講