光寿無量
 昨年12月25日 クリスマスの日、おとりこし報恩講で佐賀に行く途中、カーラジオの視聴者参加の番組で、ラジオネーム「クリスマスのバカヤローさん」は、「昨日、イヴなので、彼女に告白したら、見事に振られてしまいました。クリスマスのバカヤロー!」というメールをされたそうです。番組のコメンテーターは、さりげなく、「今、彼女に振られたってことは、新しい彼女と出会えるってことじゃないですか」と言っていました。
 なぜか、気になって、その言葉を繰り返していると、「今、悲しみの真ん中ってことは、そこから喜びが広がっていくってこと。」という言葉が生まれてきました。
 振られたことをマイナスに捉えるのではなく、次への希望、新しい世界への展望の始まりと考える、転悪成善(てんまくじょうぜん)の言葉でした。

 とかく、おめでたい風潮のお正月ですが、家に帰れなかったり、中陰中だったり・・悲しみの中でお正月を迎えられた方もたくさんいらっしゃることを忘れてはなりません。
 いとおしい娘を亡くし、悲しみの中で迎えたお正月、小林一茶は、「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」「めでたさも 中位(ちゅうくらい)なり おらが春」と詠み、決して悲しみばかりが続くのではない、喜びも悲しみも全てを照らす、光と命の中にあることを、自覚されていました。まさに、光寿無量(こうじゅむりょう:無称光と命が極みないこと)です。「あなた」というのは、一茶にとって、阿弥陀如来なのです。阿弥陀如来の大いなるはたらきを親鸞聖人は、無量、無辺、無碍、無対、炎王、清浄、歓喜、智慧、不断、難思、無称、超日月の12の光(正信偈)で示されました。
 悲しみの真ん中で、いろいろなものが生まれます。優しさはその一つといえましょう。優しさは、波紋のように広がります。
そんなことを思いながら、年賀状に記しました。
 「今、悲しみの真ん中だったら、そこは、優しさの生まれるところ。そこから喜びが広がっていくよ。」
 本年も、どうぞ、お導きください。。
2013.1 桃谷法信
御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)について

報恩講は、宗祖親鸞聖人のご恩を偲び、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをあらためて心に深く味わわせていただく法要です。
 親鸞聖人ご在世当時、お念仏を歓ぶ人々の間では、師、法然聖人のご命日に「二十五日のお念仏」として、集会(しゅうえ)がつとまっていました。
 親鸞聖人ご往生の後、聖人を祖と仰ぐ私たちの先達は、それを、親鸞聖人のご命日にあらため、ご法縁にあずかっていたのです。その後、親鸞聖人の三十三回忌にあたり、本願寺第三世覚如上人は、その遺徳を讃迎するために、「報恩講私記」をつくられ、報恩講がいとなまれました。以来、聖人のご命日の法要は、報恩講として大切にお勤めされています。 
 本願寺第八代蓮如上人がお示しのとおり、正しくお念仏のおいわれを聞かせていただき、身にいただいて、真実信心の行者になることが聖人のご恩に報いる道です。
 親鸞聖人のご命日である弘長2年11月28日(旧暦)は、現在の暦では、1263年1月16日であり、毎年、本願寺では、1月9日から16日までの御正忌報恩講が勤められています。

法泉寺では、1月10日から13日までお勤めいたします。
朝、6時から正信偈の読誦と御伝抄の拝読。
夜、7時半から正信偈の読誦と親鸞聖人についての法話です。
ことしは、報恩講の歌や親鸞さま、旅ゆく親鸞などを歌いながら、親鸞聖人のご遺徳をしのばせていただきましょう。

12日夜は、子ども雅楽の演奏があります。
13日の大逮夜は、浄真寺の高峰智晃師の御法話です。

寒さ厳しき折の行事ですが、雪の中でご苦労された親鸞様のことを思うには、最適かもしれません。

●寒くとも、たもとに入れよ西の風、弥陀の国より吹くと思わば
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