まどみちおさんのこと
2014.3 桃谷法信
 阿弥陀さまのはたらきをやさしく説いてくださる方を、菩薩さまや仏さまとと呼ぶならば、まどみちおさんは、僕にとって生き仏様でした。
 100歳を過ぎても詩を書き、絵を描くその生きざまは、お釈迦様の感じ方を体得されていたのではないかと思う位でした。
 特に、宇宙飛行士の毛利衛さんがスペースシャトルで朗読された
「頭と足」は、いきものと宇宙の関係を誰にでもわかるように詠まれています。


生きものが 立っているとき その頭は きっと 宇宙のはてを ゆびさしています
なんおくまんの 生きものが なんおくまんの ところに 
立っていたとしても・・・
針山に さされた まち針たちの つまみのように めいめいに
はなればなれに 宇宙のはての ほうぼうを・・・・
けれども そのときにも 足だけは 
みんな 地球の おなじ中心をゆびさしています 
 おかあさん・・・ と 声かぎり よんで
まるで とりかえしの つかない所へ とんでいこうとする 頭を
ひきとめて もらいたいかのように


 ぞうさんは、戦後間もない昭和23年春、誕生日におもちゃを欲しがる長男を上野動物園に連れ出し、ジョン、トンキー、ワンリーの3頭のぞうのいなくなった空襲で黒焦げになったオリの前で、見えないゾウと心を通わせ、生まれた詩なのだそうです。

ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよ

いのちのつながり、いのちの尊さが、短い言葉に凝縮されています。

 1992年に『まど・みちお詩集』を出したとき、まどさんは「妻」と同時期の詩「朝」と「はるかな こだま」を収めました。後者の一節には〈今こそ君らも/君らの敵にむかえ/石にかじりついても/その敵をうちたおせ〉とあります。
 まどさんはこの2編を「戦争協力詩」と呼び、こう謝罪しました。〈私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間です。……インチキぶりを世にさらすことで、私を恕(ゆる)して頂こうと考えました〉

 96歳の時、まどさんは、 「私は臆病(おくびょう)な人間です。また戦争が起こったら、同じ失敗を繰り返す気がします。決して大きなことなど言えぬ、弱い人間なんだというで、自分をいつも見ていたい」とも語っています。
  
 自己洞察の鋭さは、親鸞聖人と重なってしまいます。

 阿弥陀さまのはたらきを 一番表しているのは、「朝がくると」という詩です。

朝がくると とびおきて ぼくがつくったのでもない水道で 顔を洗うと
ぼくがつくったのでもない洋服を着て
ぼくがつくったのでもないごはんをむしゃむしゃ食べる
それから ぼくがつくったのでもない本やノートを 
ぼくがつくったのでもないランドセルにつめて 背中にしょって さて
ぼくがつくったのでもないくつをはくと たったかたったかでかけていく
ぼくがつくったのでもない道路を ぼくがつくったのでもない学校へと
ああ なんのために 
いまにおとなになったなら ぼくだって ぼくだって
なにかをつくることができるように なるために


自分で作ったものなんて、ひとつもない。
身の回りにあるものは、すべて、何処かの誰かが作って下さった物。

 ものだけじゃない。空気も熱も光も大地も・・・わたしの体も・・・・
気づこうが気づくまいが、そんなことおかまいなしに、わたしを守って下さる大きなはたらき、それを「アミダ」とインドの言葉で言うのです。
 そして、そのことに感謝する言葉が、ナモアミダーバー(南無阿弥陀仏)のお念仏です。言いやすいように、先人たちは、「なまんだー、なまんだー」と称えました。

 2月28日、そのまどみちおさんが往生の素懐をとげられました。
本当の仏さまになられました。
別れや死は、遺されたものの生き方を豊かにして下さいます。
別れた人や亡くなった方は、弔うことによって、私を導いて下さいます。
これからも、まどさんは、ずっと、僕を導いて下さいます。

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