聖徳太子と物部守屋
2014.6 桃谷法信
「むりょうじゅ」の表紙に連載している「親鸞聖人の御和讃」の版画は、前回まで聖徳太子を讃える皇太子聖徳奉讃11首でした。これは、親鸞様が和国の教主として尊敬されている聖徳太子が、仏教保護のために命を懸けて行動されたことに対する親鸞聖人の並々ならぬ尊崇の現れです。
 その後に書かれた御和讃は、「悲嘆述懐和讃」と言って、親鸞様ご自身や世間の醜さを嘆き悲しんでお造りになったものですが、今月の表紙は、仏法に仇をなし、廃仏に奔走した物部氏についての親鸞様の憤りを露吐されたものです。
 物部守屋のことを5首にわたってお造りになっています。

 
 
 善光寺の如来の われらをあわれましまして
  なにわのうらにきたります み名をも知らぬ守屋にて
   そのときほとをりけとぞ申しける 疫癘あるいはこのゆへと
   守屋がたぐいはみなともに ほとをりけとぞ申しける
     やすくすすめんためにとて ほとけと守屋が申すゆえ
     ときの外道みなともに 如来をほとけとさだめたり
    この世の仏法のひとはみな 守屋がことばをもととして
    ほとけともうすをたのみとて 僧ぞ法師はいやしめり
   弓削の守屋の大連 邪見きわまりなきゆへに
   よろずのものをすすめんと やすくほとけともうしけり


 仏教が日本に伝来したとき、物部氏は、蕃神(異国の神)といって廃仏しようとしました。
 これに対し、蘇我氏は、仏教を信奉すべしと主張し、対立が深まりました。
物部氏は、寺を焼き、仏像を浪速の海に投げ捨て、疫病の流行は、国神の祟りであると主張して、蘇我氏との対立は、一層深くなりました。
 用明天皇が崩御されると、相続をめぐっての戦いが始まりました。
14歳で初陣した厩戸皇子(聖徳太子)は、戦線不利で苦戦していた蘇我軍を見て、「
仏神の加護なしに局面は打開できない」と心に決め、共に従軍していた秦河勝に命じ、ヌルデ(木)をとり、自ら四天王を彫って四天王を刻み頭頂にくくりつけ、「敵に勝つことができたら、四天王の為に寺を建立します」と誓願して戦いに臨みます。これを機に蘇我氏の士気が上がり、迹見赤檮(とみのいちい)が守屋を弓で貫き、蘇我軍を勝利に導きました。

 上記のような流れで、仏教が日本に伝来し、広まったのです。聖徳太子は、深く仏教に帰依しつつ、四天王寺や法隆寺を建立し、十七条憲法や冠位十二階などの政策にも仏教的な色合いを出していかれました。また、遣隋使を派遣し仏教や建築土木などの技術の導入にも大きな働きをされました。
 天皇に勝鬘経を講義したり、法華経義疏、維摩経義疏などを著し、、推古天皇の摂政として、八面六臂の活躍をなされたことは、十人の訴えを一度に聞くという伝説からもうかがうことができます。
 
このようなわけで、親鸞聖人は、聖徳太子をとても尊敬されたのです。

 御伝鈔にも、
「仏教むかし西天 (印度) よりおこりて、経論、東土 (日本) はる。 これひとへに上宮太子 (聖徳太子)広徳、山よりもたかくよりもふかし。 わが朝欽明天皇御宇(ぎょう)に、 これをわたされしによりて、 すなはち浄土正依経論等このときに来至す。 
儲君 (聖徳太子) もし厚恩したまはずは、 凡愚ぐいかでか弘誓にあふことをん。・・・・(中略)・・・・傍らに皇太子を崇めたもう。けだしこれ、仏法弘通を謝せんがためなり。」
 
と、記されています
雅楽教室ぼちぼちです
 4月から始めた雅楽教室(28日)は、8名ずつの参加でした。
4月は、笙を、5月は、竜笛を中心に吹いてもらいました。音が出るという喜びは、顔に出ていい顔をされます。5月は、音が出るだけでなく、越天楽の初めのフレーズに、取り掛かる人も出てきました。何かを始めようとするときに年齢や性別など関係ありません。やってみようと思ったら、もう半分は目的を達成していると思います。13日のむりょうじゅ会の時は、当面音楽法要で、打ち物を中心に練習します。笛や笙などの鳴り物は、28日に稽古して、できれば、11月23日の祭のときに披露できたらと考えていますので、ぜひ参加してください。祇園楽という曲で、歌い方、演奏方、踊り方で、盛り上げようと思っています。

人権について考えよう 

 6月は、講演会を6回引き受けています。
高齢者教室が蔵宿と戸矢の2カ所、啓徳高校の御命日法要のお話、大坪町赤門大学、JA長崎女性大学講座、有田町10区の人権同和問題講座の6回です。
 6月27日(金)夜7時から、上本公民館の三葉館で、楠木原、下本、上本の10区の皆さんに人権問題のお話をさせていただきます。
 「仏教者から見る人権同和問題」と題して、お釈迦様をはじめ、差別と対峙してこられた仏教者のこと、ヘイトスピーチやブラック企業のこと、ネット上での問題、男女共同参画についての問題など、お話しします。

 
ぜひ聞きに来てください。


言葉を味わう C 触光柔軟 (そっこうにゅうなん) 

 五月は、一段と光が強くなって、若葉を照らします。一般に光を浴びるとか、光に照らされるという表現をしますが、光に触れるとは、どういう意味なのでしょうか?
 この言葉は、阿弥陀如来の四十八願のうち、第三十三番目の願の言葉です。
蓮如様は、そのたとえとして、洗濯物が乾くことを挙げられています。
洗濯物自身は、自分の力では乾くことができないが、太陽や風といった〈他力〉のはたらきによって乾くように、私が救われていくということは、私の力ではなく、大いなる働き〈他力〉によるのだとおっしゃるのです。そのように感ずれば、心が和らぎ、十分に物事に対応することができるというのです。
 そして、報恩感謝のお念仏を称えることが、さらに、光に触れることとなり、石のように固い私の心が、水のように、柔らかくなっていくのです。しかも、その柔らかな水は、硬い石を穿つ力を持っているというのです。
 私のものさしで、物事を図り、自分の殻に閉じこもって、がんじがらめに自縛している自分の心の解放は、光に触れることによって、解決していくのです。

  六月の行事予定

13日(金) PM7:30〜 むりょうじゅ会
      音楽法要の練習、雅楽の打ち物の練習
14日(土) PM7:30〜 原明お講  

 *8月に松浦組の少年少女キャンプの会所が回ってきました。
  期日はまだ未定ですが、ご協力お願いします。
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