山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)という言葉があります。自然界にあるものには、すべて仏性があるということです。仏性というのは、眼には見えない大きな働きということです。私たちが気づこうが気づくまいが、そんなことおかまいなしに働いてくださる大きな力です。
 自然界には、人間の体も含まれています。僕の体の中も仏性で溢れています。心臓の動き、呼吸、消化、自律神経、・・・どこをとっても自分の思い通りにならないことばかりです。

 命終わって、荼毘に付されると、白骨が残ります。収骨の時に最後に取り上げてお骨の上に乗せるのは、のどぼとけさまです。まるで、仏さまが座禅を組んでおられるような形をしています。
 喉には、飲み物や食べ物が通過する食道と、呼吸や発声をする気道があります。肺に通じる気道は、喉頭蓋(こうとうがい)という蓋(ふた)があり、声を出したり呼吸をする時は、声帯を調節しながら開いていますが、食事をする時には、喉頭蓋が閉じて、食べ物や飲み物は、食道へ行くように調節されます。その働きをしているのがのどぼとけさまです。
 喉に手を当てて、つばを飲み込むと、のどぼとけさまが上の方へ動くのがわかります。厳密にいえば、のどぼとけさまが喉頭を押し上げて蓋をするのを助け、のどちんこが鼻腔をふさいで、飲み物が鼻に行かないように働いてくださっているのです。ついでに、のどちんこは、速効的にさらっとした液を出して、唾液が口の中に広がるのを助けたり、話すときや食べる時に微妙な動きで、口の中を潤しているのです。また、のどちんこの筋肉は、素早く繰り返し動くことができるので、複雑な話し方や歌を歌うことができるのです。食道はふだん閉じていて、空気が食道に入ることはありません。
 のどぼとけさまは、そんな動きをするのどの働きを、常に支えてくださっているのです。生まれてすぐに動き始め、臨終の一念まで、働きづめに働いてくださる。そんなのどぼとけさまに今まで一回もお礼を言ったことがありません。
 しかし、「如来わが往生を定めたまいし、御恩報尽の念仏と心うべきなり。」と御文章にもあるように、日頃の称名念仏の中に、のどぼとけさま(アミターユス)のおかげを思い、なもあみだぶつのお念仏を申すばかりです。


仏教的に食を味わう たまご
 
 一昔前まで、コレステロールを摂りすぎないように、「卵は、一日一個まで」と言われていました。ところが、2015年、厚生労働省は、コレステロールの摂取基準値を撤廃しました。卵は何個食べてもいいということです。これは、日本脂質栄養学会が以前から主張していたことで、コレステロールの数値が高い人ほど長生きすると言っていました。それは、卵に含まれているコリンという栄養素が、脳に欠かせないものだからです。 コリンの多い食事をしている人は、記憶と言語能力の検査が優れていたことが東フィンランド大学の22年間にわたる研究でわかったと、鎌田實先生が佐賀新聞のコラムに書いておられました。脳の神経伝達物質であるアセチルコリンの材料であるコリンは、記憶や学習という脳の働きと深くかかわっているので、卵をたくさん食べて、認知症予防をしましょう。

●12月の行事予定(住職動静)

1~30日 お取り越し在家報恩講(ご希望に応じて )
2日 
有田町老人会研修会
3日 退職教職員協議会役員会
4日 
伊万里栄町歌う会
6日 上本老人会研修旅行
12日 桑木原高齢者サロン説法ライブ

13日 むりょうじゅ会(終いお講 18:30
~門信徒会館)
     *女性部の美味しいお斎が用意されます。
14日 在家報恩講(原明上、佐世保方面)
15日 在家報恩講(原明下、佐賀方面)
17日 楠木原高齢者サロン説法ライブ
18日 伊万里栄町歌う会

22日 在家報恩講(上本・岩谷。迎)
23日 在家報恩講(上本・舞原、舞原団地)
24日~30日 在家報恩講(有田、大山、伊万里、その他)
31日 除夜の鐘
(どなたでも撞きに来てください。23時40分~福引あります)   * 撞き終えられたら、そのまま本堂へどうぞ。年越しお正信偈をお勤めします。

 親鸞聖人の遺徳を偲ぶ「在家報恩講(ほおんこさん)」は、真宗門徒にとって、大切な相続の法事です。
仏具のお磨きや仏前の荘厳をして、親鸞さまのご苦労を偲びながらお勤めしましょう。今年の御伝鈔は、下巻第6段、洛陽遷化の段です。親鸞聖人の御往生の様子を拝読します。
  ●冬休みに、雅楽の練習をします。主に宗祖讃仰音楽法要の練習です。



親鸞聖人伝絵 下巻第6段 洛陽遷化の段


親鸞聖人の御往生と御葬送の情景が描かれています。
向かって右下の右側は善法院でご病気中の親鸞聖人、

右上は親鸞 聖人の御往生の様子。
左半分は親鸞聖人の御遺骸を輿(こし)に納め、延仁寺の荼毘所に

送ろうとしているところが描かれています。 
*善法院は、親鸞聖人の実弟、尋有(じんう)僧都のお寺です。




親鸞聖人は、弘長二年(1262)11月下旬のころから、ちょっとした 病気になられました。それからは世間的なことは全く口にされず、た だ阿弥陀さまのご恩の深いことを話され、絶え間なくお念仏を申して おられました。
そして、11月28日正午ごろ、お釈迦さまのご入滅にならわれて、頭を 北に、顔は西に、右脇腹を下にして臥(ふ)したまま、とうとうお念仏 の声が途絶え、ご往生されていかれました。享年90歳でした。 その時のお住まいは三条富小路でしたから、遠く賀茂川の東の道を 通って延仁寺で火葬に致しました。翌日、ご遺骨を東山の麓にある 大谷の地に納めました。
このとき親鸞聖人のご教化のご縁のあった人々は、みんな聖人の ご遷化(せんげ)を悲しみ、涙を流したことでした。



一口法話 2019.12 桃谷法信

のどぼとけさま

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