仏像のまね@

 風呂の湯船につかりながら、妙なことを思いついた。
腰湯をしていて、阿弥陀如来の格好をしてみたら、不思議な気持ちになった。次に、お釈迦様のお悟りのポーズをしてみると、さっきの阿弥陀如来の時の気持ちとは、別の、違う気持ちになった。 言葉では何とも言い表せない不思議な感覚だった。その時、観音菩薩の半跏思惟像や、お釈迦様の涅槃像の意味は、どういう意味があるのかという疑問がわいてきた。 ロダンの考える人のポーズは、人間が考えるときにする格好だ。それも苦悩を伴った思考の時に行うポーズのように僕には思える。 阿修羅像の六本の腕の意味や、千手観音のたくさんの手、合掌の姿。忍法の手印は、修験道の行者の印とも言われている。 すべてのポーズには、それぞれの意味があるのだろう。これは、面白い、仏像のまねをしてみようと思った。しかし、思ってはみたものの、正確にはどんな格好なのか、なんとなくわかりはするが、指の先や足の開き、顔の傾き、目の向く方向などはよくわからない。これは、調べてみる必要があると思って、風呂から出た。

 今月号から仏像のポーズをいろいろ紹介し、その意味を考えていこうと思います。
 月参りに行くと、仏壇の横に法語カレンダーがよくかけられています。法泉寺から配ったものは、田中陽一郎さんの絵に谷内正遠さんの文字で東井義雄先生の言葉が書いてある書き込み式のカレンダーですが、本願寺の法語カレンダーがかけられているところもあります。
 2月の本願寺法語カレンダーには、
「拝むとは、拝まれて居た事に気づき醒めること」(高光大船)という言葉が書かれています。
 その言葉の出所はきっと、東井義雄先生の「拝まないものも拝まれている。拝まない時も拝まれている。」という言葉だと思いました。自転車通勤の途中の峠で、ある日、ふと、こちらを拝んでいるお地蔵様に気づかれた東井先生は、こちらが気づこうが気づくまいが、いつも拝んでくださっているものの存在に気づかれ、その働きこそがアミダであったといただかれたのです。
 アミダブツ、アミダニョライと言えば、立像や絵像の阿弥陀如来を思い浮かべますが、親鸞聖人は、唯信鈔文意に
「しかれば、仏について二種の法身まします。一には法性法身、二には方便法身と申す。法性法身と申すは、
色も形もましませず、しかれば、心もおよばれず、言葉も絶えたり。この一如より形をあらわして方便法身と申す、その御相に法蔵比丘となりたまいて四十八願を発しあらわしたもうなり。」
と述べておられます。
 つまり、アミダブツというはたらきは、色も形もなく、よって、心で感じることも、言葉で言い表すことも難しいとおっしゃっておられるのです。でも。何とか言い表そうとして、日なり水なり風なり大地なり火なり・・・真実明、畢竟依、平等覚、大応倶・・・帰命盡十方無碍光如来、南無不可思議光如来、無量寿如来、・・などという表現を試みておられます。でも、なかなか難しい。そこで、インドの言葉である「アミターバ」(無量寿)「アミターユス」(無量光)をそのまま音写して、「あみだぶつ」と言い、「ナンマンダブ」と称えるのです。
 拝んでいるつもりが、実は、遠い昔から拝まれてあったいのちであった、自分の力では、何一つ自由にできない自分であったと気づかされていく、生まれることも、年を重ねることも、五臓六腑が働いてくださっていることも、癌が広がっていくことも、リンパ球や血液が流れめぐっていることも、死ぬことも、諸行無常、諸法無我の四苦八苦の中で、業を重ねる以外、何もできない私であったのに、赦されて生かされていたと感じたときに、慚愧歓喜のお念仏が私の口をついて、出てきてくださる。それが、信心正因、称名報恩の「なもあみだぶつ」なのです。生まれる前から、拝まれていた私でありました。生まれてからも、拝まない時も拝まれていた私でありました。ナンマンダブ、なんまんだぶ。

●春の彼岸会
 年に2回の彼岸会は、春分の日、秋分の日を中心にお勤めします。昼と夜、暑さ寒さ、ちょうど程よい、いい加減、いい塩梅、偏らない、など、お釈迦様が説かれた「物事に執着しない中道の精神」が季節に合致していることや聞法にちょうど良いことから、法座が開かれることになったのでしょうね。
 法泉寺では、19,20,21の三日間いずれも夜のお座で19:30からお勤めします。21日の彼岸の中日は、朝10時からの朝座もございます。どうぞ、お誘いあわせ、声を掛け合って、お参りください。

●おみのり替え歌 @なんまんだぶし
 
むかし、守屋ひろしさんが歌っていた「ありがたやぶし」が最近とみに口をついて出てきます。歌詞をはっきり覚えていなかったのが幸いして、替え歌ができました。
・咳やくしゃみや鼻水も、汗や涙も放屁さえ
 自分の力じゃどうにもならぬ、みんな阿弥陀のお働き
 ありがたやありがたや、ありがたやなんまんだ
ありがたいのは有ること難し、当たり前などありません
諸行無常ということも、諸法無我ということも、
ありがたやありがたや、ありがたやなんまんだ
(続きは、来月号で)
●お知らせ
ホームページのURLが次のように変わります。
http;//momotani,sakura.ne.jp
引っ越しがうまくいってないので、不具合が生じています。

●春の彼岸会法座

3月19.20.21日の三日間
     いずれも、夜7時半からです。
  21日の中日は、朝10時からも勤めます。
  どうぞ、お誘い合わせてお参りください。
拝まないものも・
2015.3 桃谷法信
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