おかげおかげで
 「歌ば、つくったバイ。」
ご主人、迎俊幸さんのお母さん、北久美子さんの祥月命日によばれて、お参りさせていただいた後、お斎をいただいていた時、迎八千代さんが、広告紙の裏に鉛筆で書いたものを持って来られました。
 その広告紙の裏には、

おかげおかげで、夜が明ける。ヨイヨイ。
おかげおかげで、働ける。ヨイヨイ。
おかげおかげは、親の恩。ヨイヨイ。
おかげおかげで、暮される。ヨイヨイ。

 と、記されていました。 
 「おう、よかねえ。歌うて、歌うて。」 と言うと、
恥ずかしそうに、小さな声で口ずさまれた旋律は、不思議な響きがしました。「ヨイヨイ」は、「よかったあ」という気持ちの囃子ことばだし、「夜が明ける」のも、迷いの闇が晴れていくことをも含んでいます。ハタラクというのは、ハタ(傍ら)が楽になることだと聞いたことがあります。
 八千代さんは、お法りのお味わいを、良く歌にされます。
以前、ゆず胡椒をつくりながら出来たという歌も、なかなかの出来でした。 

柚子と胡椒が拝みあい、南無阿弥陀仏ですり混ざり
味があるある、味がある。南無阿弥陀仏の柚子胡椒
あなたと私が拝みあい、南無阿弥陀仏で暮らしましょう。
たまにや鬼や愚痴が出る。そのまま来いよのお呼び声。

 ゆずの香りと胡椒の辛さが混じり合って、豊かな味が生まれてくる。煩悩具足のこの私が、如来さまのお慈悲の中で、煩悩具足のそのまんま、豊かな世界に生きられる、というような内容です。
 
 裏の畑で、鶯が、ホウホケキョと鳴いている。
 ホウホケキョは、母の声。法を聞けよの母の声。

八千代さんのお母さんは、オソメさん、「なんまんだぶ」が口ぐせで、何をするのも「なんまんだ」、何があっても「なんまんだ」、草を採っても「なんまんだ」、洗濯しながら「なんまんだ」

 お寺で法座のある時は、何をおいても寺詣り、「働くダンかい、みゃーらんば、足の歩ばるっうち、行たて、耳の聞こゆっうち、聞いとかんば。後生の一大事ば、はようはよう、あんたも、はよう、みゃーんさい。」
そんな口ぐせを、鶯の鳴き声に、事あるごとに思い起こしておられるのです。
 そのほか、次の様な歌もあります。六十歳の時の歌

大地と私は、語り合い。六字の御名につつまれて、
六十の坂道、慈悲の中。もったいなさよ、なもあみだ

蕪は重石で一夜漬け、私ゃおかげで六字漬け
知らず知らずに沁みとおる、南無阿弥陀仏の親心

 これは、蕪の漬物を作りながらの歌です。

 お法りを伝えていくのは、高名な高僧知識だけではありません。名もない市井の人たちが、語り伝えて下さることがどれだけ多いことか、師主知識の恩徳とは、妙好人をはじめ、妙好人と言われずとも、お法りをよろこび、お慈悲を語って生きて行かれたたくさんの それこそ、無量の人々のおかげだと思います。

 おかげおかげで、眼が覚めて、おかげおかげで、歩まれる。
 おかげおかげで、おまんま食べて、おかげおかげで、眠られる。
 おかげおかげで、・・・・・
このあと、どんな言葉を入れても、みんな当てはまります。
おかげおかげを、よろこびましょう。
2012.3 住職:桃谷法信
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