鸞(らん)
2016.2 桃谷法信
総画数30画
親鸞聖人の鸞という字を、「書いてみて」と言われて、サラサラとすぐに書ける人は、浄土真宗関係の人を除いてはなかなかいないようです。親鸞と名乗られる時、親鸞さまは、「愚禿釋の鸞」と言われたそうです。何故、親鸞さまは、「鸞」という字を自分の名前の一部にされたのでしょうか?
七高僧様の中に、「曇鸞」という方がおられます。梁(中国の王朝)の天子様が、曇鸞様のおられる方には決して足を向けずにお休みになったという言い伝えがあるほど尊敬されていました。曇鸞様は、大集経の翻訳をライフワークになさっていましたが、最中に病にたおられ、命終わるまでに完成しないだろうと思われたので、一時翻訳を中止し、陶弘景という仙人に不老長寿の術を学び、仙経を携えて帰路につきますが、洛陽の都で、三蔵法師の菩提流支にその喜びを語ると、流支三蔵は、「ぺっ。」と唾を吐き、しょせん有限の長寿を身につけたところで、死から逃れることはできぬ、仏教こそ不死の教えであると、「観無量寿経」を授けられました。頭のいい曇鸞様は、その意味を即座に理解し、すぐに仙経を焼き捨て、浄土教のみ教えを研鑽されるようになったということです。(赤本の聖典22ページの箇所) そして、竜樹菩薩や天親菩薩の論を注釈され(往生論注、浄土論注)、玄中寺や遥山寺で、研鑽を積まれました。
親鸞さまは、七高僧様の中でも特に、曇鸞様を尊敬されていたのは、鸞という一字をご自分の名前にされたことでもうかがうことができます。
さて、鸞という字の意味ですが、鳳凰に似ているそうですが、鳳凰よりも声が綺麗な伝説の鳥だそうです。
ところが、そのひなは、醜い泥まみれのような羽で生まれてくるので、親鳥を見た途端、化け物だと思って逃げ惑うそうです。逃げるひなを親鳥は追っかけるのですが、ひなは逃げ惑うばかり…。そこで、親鳥は、泥沼に入って羽に泥を塗りつけ、ひなと同じ姿になって近づくと、ひなは安心して、その胸に抱かれるそうです。
親鸞さまは、阿弥陀如来の摂取の意味を「逃げるものをば追わえ取るなり」と左訓に書かれ、この鸞のたとえを阿弥陀如来の大いなる働きと受け止められ、その御恩を報ずる態度を片時も忘れないように名前の一部としていただかれたのでした。曇鸞様も同じ思いだったのでしょう。
私たちも、この鸞のひなと同じように、大切なことから逃げてばかりです。グルメや温泉、旅行など、楽しみばかりを追い求め、後生の一大事から目をそらしています。逃げるものをば、追わえ取って決して捨てない、摂取不捨の光明の中にあることを、曇鸞様、親鸞さまの名前からよろこばせていただきましょう。
●土曜学校を再開します。
約1年間、中断していた土曜学校を再開します。
毎月第4土曜日の朝9時から10時過ぎまで。
①お勤めと法話 ②写経 ③雅楽の練習
子どもはもちろん、大人の方も是非参加してください。
終了後は、ブックカフェ、シアターカフェなど、お楽しみいただけるよう、準備します。(今月は27日です。)
●新納骨堂ができます。
本堂北側の納骨所がいっぱいになり、新規加入希望もあることから、鐘撞堂の横に、小さな納骨堂を建てることにしました。75基ほどのロッカー式です。もうすぐ着工予定です。
●天井画100枚突破。
たくさんの方にご協力いただいている天井画が、100枚を突破しました。 花や動物、野菜や果物、山水画、貼り絵、パッチワークなど多彩でとても面白い天井画です。
全部で144区画ありますので、絵心のある方、ぜひご協力して頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。
仏像のまね⑫ 様々な観音さま その1
阿弥陀如来の脇侍は、勢至菩薩と観音菩薩です。
勢至菩薩が歩かれると地響きがするというたとえで、「目を覚ませ」という御催促なのだそうです。智慧の光にたとえて、ろうそくを灯して荘厳します。
観音菩薩の歩かれた足跡には、花が咲くというたとえで、慈悲を表わし、生花をお供えして、いのちの有り様を感じます。
浄土真宗の観音様は、花を供えることで、慈悲のはたらきをいただくのです。
12礼という龍樹菩薩の著述に、「観音頂戴冠中住」とあり、観音様の冠の中に阿弥陀如来が妙なる姿で存在され、悪魔外道を退けると記されています。阿弥陀如来の脇侍としての観音さまが、様々な姿となって、衆生済度のはたらきをされることについては、来月から少しずつ述べていきます。
2月の行事
13日 2月のむりょうじゅ会は「初お講」です。
夕方6時~お斎
7時~お勤め(正信偈)、法話
8時~座談、喫茶
27日 朝9時~土曜学校
*お勤め(12礼)、法話
*写経 *雅楽の練習
*ブックカフェ。シアターカフェ
(コーヒー、紅茶、緑茶、おやつ)
土曜学校は、
毎月 第4土曜日に開催します、どなたでも
お気軽に参加してください。