仙経を焼く
2015.1 桃谷法信
 新年、あけましておめでとうございます。
「めでたさも ちうくらいなり おらがはる」 と、娘さんを前年なくされた小林一茶さんは詠まれました。「ともかくも あなたまかせの としのくれ」の連作と思われます。小林一茶さんにとって、「あなた」とは、阿弥陀如来のことです。
 悲しみのうちに、新年を迎えられた方もたくさんおられることと想像しながら、大悲 (だいひ:阿弥陀如来の慈悲) を感じさせてもらいます。
 さて、新年といえば、一つの大きなくぎりであり、新たな抱負をもって、今年はこうしたいとかこうなりたいとか、希望に燃えたり、新たな決意を秘めたりする秋(とき)でもあります。

 私は、親鸞様が尊敬された中国の曇鸞大師(476〜542)のことを思いました。中国の南北朝時代、四論 (中論、十二門論、大智度論、百論)の大変すぐれた学僧であった曇鸞様は、北魏(北朝)の人であったにもかかわらず、南朝の梁(りょう)の天子である武帝から大変尊敬されていました。武帝は、曇鸞様のおられる北の方角へ足を向けて寝ないという逸話まで残されているくらいうやまれていたそうです。
 その曇鸞様は、ライフワークとして、「大集経」の注釈に心血を注いでおられたのですが、もともと体が弱く、病に悩まされていました。このままでは、大集経の注釈は完成しないと考えられた曇鸞様は、不老長寿の術を身につけようと茅山の陶弘景という仙人に弟子入りをして仙術を学び、200歳までは保証するという確証を得て、喜び勇んで帰る途中、洛陽の都で、菩提流支三蔵から、仏教こそ不死の教えであると諭され、「観無量寿経」を授けられました。そのときの逸話は、200歳まで長生きできると喜んでいた曇鸞様に、ぺっと唾を吐かれた菩提流支三蔵が、「それでは201歳になれんのではないか?」と言われたそうです。頭のいい曇鸞様は、その意味をすぐに悟り、陶弘景から授けられた「仙経」を焼き捨てて、浄土教に入って研鑽を積まれたといわれています。親鸞さまの教えのほとんどが、この曇鸞様の教えによるもので、名前の一部である「鸞」も曇鸞様を尊敬された証であるといえます。
 
 誰でも丈夫で長生きを願い、健康寿命とか、長寿がもてはやされ、健康食品や様々なサプリメントが新聞やテレビにあふれていますが、何のためにそうありたいのかという目当てもなしに、徒に明かし、徒に暮らしていることが多いように思います。
 曇鸞様が「仙経」を焼き捨てられたという逸話から、不確実な将来を漠然と思い描く妄想から早く離れて、「今、ここ、わたし」を精一杯生きていくことが大切ではないかと思ったのです。
 夜寝られない、朝早く目覚めてしまうことを、悩まないで、今、何かをすることができる時間をいただいたと思えば、新しい世界が開けてくると思います。
 親鸞さまの伝記「御伝鈔」には、「寅の時」がよく出てきます。午前4時ごろです。人間の脳の覚醒、一番冴えきる時刻だと勝手に思っていますが、私の場合、本当にアイディアがポンポンと出てきてくださいますし、この「むりょうじゅ」の一口法話も、ほとんどその時間帯にできるのです。
 早起きは三文の徳(得)と言われるのは、夜明け前のうっすらとした光や静寂な空気ばかりではなく、細胞も新鮮な酸素をいっぱい吸って、体全体が活性化していることを言うのではないか、そんな風に思います。
 「いのち、毎日、あたらしい」、今年の合言葉にして、このむりょうじゅも400号を目指します。どうぞ、ご指導ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。

●尊敬していた松尾鉄仙こと松尾徹さんが12月25日、往生の 素懐を遂げられました。このむりょうじゅにも何回も先生の句 を紹介させていただきましたが、お通夜の時の法話で紹介した句を一句、掲載して、哀悼に意を表します。

 
人は皆 何処かへ帰る 星月夜 鉄仙




言葉を味わう I七十二候(72こう)

 
春夏秋冬、季節感がなくなりつつあります。食べ物も何時が旬なのかわからなくなってしまいました。旧暦で使われていた言葉もほとんど姿を消してしまいました。
 季節を六つに分けた二十四節気(
立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒)それを初候・次候・末候と分けた七十二候となると、ほとんどが、日常の言葉から姿を消してしまっています。その中には、「地初めて凍る、草木萌え動く、桃初めて笑う、桜初めて開く、つばめ至る、雉始めて鳴く、蚯蚓(みみず)出る、蟷螂(かまきり)生ず、蚕起きて桑を食う・・・」などのように、自然現象、植物、小動物など、命あるものすべての動向を、先人がやさしい心で見つめておられた事がうかがえます。季節の移ろいの中で、いのちの移ろいを感じ、お釈迦様の御説法「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を肌で味わっておられたことに思いをはせ、風も匂いも温度も雰囲気もかもし出さないタブレットやネットやスマホで、いろいろなことを学んでいるつもりになっている現代人が失いつつあるのは、言葉だけじゃなく、感性も含んだ季節感ではないか、そんな風に思った新年でした。
 
(この文章は、本願寺出版の月刊誌「大乗」1月号の中川真昭さんの「じいじからあなたへの手紙」を参考にしました。)
 

1月行事予定
 
1日 零時 元旦会
3日 18時 総代世話人会
8日 8時 御正忌準備(
お磨き、お華束、新年会
10日〜13日 朝6時、夜7時30分
      御正忌報恩講(
12日は。子ども報恩講

14日 19時 原明お講(
吉永三紀夫さん宅


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