考えると思惟
2012.6 桃谷法信
 5月19日、20日の二日間、直方市下境の光福寺さまへ出講し、宗祖親鸞上人降誕会(ごうたんえ:親鸞様のお誕生日)」のご縁に遇わせていただきました。19日は、朝、昼、20日は、昼、夜の合わせて、8席、勤めさせていただきました。親鸞様の願いや名前の由来、親鸞様から教えてもらったこと、御和讃のお味わいなど、歌いながらお取次ぎさせていただきましたが、御住職は、やっぱり、ありがたい先輩でした。法話の中の間違いや説明不足をきちんと指摘してくださり、次の席での話の糸口まで、示唆してくださいました。 
 この「むりょうじゅ」の題字の下に毎月書いている言葉は、光福寺のカレンダーから引用させてもらっていますが、その言葉を書いてくださっているのが、御住職(ごいんげさん)の大友宗文師なのです。
 大友さんは、龍谷大学のひとつ先輩で、同じサークル「宗教教育部」で活動をしていました。配属された日曜学校は、違いましたが、レクリエーション研究会で一緒でしたし、巡回といって、夏休みや春休みを利用して、全国のお寺さんにお世話になりながら、十日間ほど、人形劇や影絵、童話やゲームを通して、宗教教育を実践する活動で、熊本や四国の香川などを回った4人組のチーフでした。
 初日の夜、遠賀川を下った水巻町からやってきた同窓生の伊藤彰一くん(徳照寺住職)と3人で、直方の繁華街に出かけました。カウンターの壁に食前の言葉が掲げてある「有馬」という小料理屋の2階で、おしゃれな懐石料理をいただきながら、料理と同じくらいの素敵な会話をしました。
 「ロダンの考える人と弥勒菩薩の半跏思惟像の違い、わかるや?」と聞かれて、そのような比較をしたことがなかったので、少し戸惑いましたが、顔の向きや手の形ぐらいかな、と思いました。
 考える人は、拳をあごに当てて下を向いています。足許や現実を見て、考えているのだろうと思いました。(後でネットで調べてみると、ダンテの神曲の地獄の門の上に取り付けるために、ロダンが制作したのだそうで、視線の先には、地獄があるのだろうと思いました。)
 弥勒菩薩の半跏(はんか:左足の上に右足を載せた座り方)像は、右足の膝に右手の肘をつけて、手のひらを広げた格好で、人差し指と中指を軽く曲げて、右の頬に触れる体勢で、微笑みながら、前方を見ておられます。
 弥勒菩薩の半跏思惟像は、日本では、広隆寺や中宮寺など約30躰があり、韓国では、国立中央博物館にたくさん展示されているそうです。
 56億7千万年後の成仏までの菩薩としての思惟の姿であろうと思われます。衆生を救うための思惟が、あと56億7千万年続くのです。地球が誕生して46億年と言われていますから、想像を絶する長さです。
 と、ここまで書いて、ふと気がつくと、法蔵菩薩は、56億7千万年どころか、五劫 (
ごこう:寿限無という落語に「五劫のすりきれ」という言葉が出てきますが、出典は、大無量寿経です。三年に1度天から降りてくる天女が、羽衣の裾で10里(約40キロメートル)四方の石をなでて、その石がすれ切れてしまうというぐらいのとてつもない長い時間)、思惟されたのでした。
 そのくらい思惟せずには救われないほど、私の煩悩は深かったのです。「無量寿経」には、その阿弥陀仏の救いの本願を、後世の苦悩の衆生に説き聞かせるように、お釈迦様が弥勒菩薩に宿題を出しておられることが書いてあります。

それにくわえて、大友さんは、経典には、「思惟」という言葉はあるが、「考える」という言葉はない、と言うことも教えてくださいました。先輩は、いつまでたっても、先達でした。

 
広隆寺
弥勒菩薩
半跏思惟像
ロダン作
考える人
阿弥陀如来の版画絵
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