永代経と祝賀会
2012.11 桃谷法信
準備

  10月28日、心配していた雨はやみました。朝5時に目が覚めた僕は、新しい会館の外側に六金色の幕を貼り、六金色旗を本堂の入口や門に立てました。、前日に出来上がった鐘楼横の舞台は、ブルーシートに覆われていましたが、銀杏の葉っぱが雨水にくっついて、そのままの方がいいデザインでした。本堂の電源は、容量が少ないので、延長コードを庫裏から引っ張って、音響用と綿菓子機用、ポップコーンの機械用、それに、岩永公明さんのたこ焼きやさんの電源も用意しました。PA(音響装置)の準備もありましたが、弟の孝正バンドが、奥様のチェロと一緒に運んでくるPAを使うことになり、彼らの到着を待ってからすることにしました。トイレの案内や催し物の場所のポスターを書いていたら、準備のためにたくさん集まってきてくださいました。おばんざいの準備や散りまくった銀杏の葉の掃除、おむすびのご飯炊きも、4升。そうこうしているうちに弟たちが到着。一人では持てない重いスピーカーと8チャンネルのPA装置を持参してくれました。亡くなったバンド仲間の奥様(太宰府の山崎様)が有効に使って欲しいと託されたので、法泉寺に置いていくということになり、ありがたい寄付として、受け取り、祝賀会で早速使わせていただきました。それと一緒に故人が愛用されていたカスガのフラットマンドリンもいただき、一念発起、マンドリンも練習しようと張り切っています。
 この一年の永代経ご懇志上納者(13名)の法名表を前卓の前に貼り、蝋燭を変え、お仏飯をあげたら、もうお昼前、「はよ食べんね。」と声をかけられて、会館の中に入ると、そこには料亭のような見事なご馳走が並んでいました。煮しめものやおよごし、ゴマじょうゆ、ヒジキの和え物、女性の方々のお心遣いが、十皿以上並んでいました。三種類のオニギリをひとつづついただいていたら、はや、招待のお客様がちらほら本堂に入っていかれました   

法要   

 色衣五条に着替え、子ども雅楽の22人の奏する越天楽で登礼をし、永代経法要がはじまりました。表白で、13名の法名を言い、子どもたちも一緒に正信偈第2種をお勤めしました。恩徳讃の演奏で降礼し、後堂で着替えて、法話をしようと演台に立つと、本堂に入りきれない方がいっぱいおられて、びっくりしました。
 永代経にこんなに沢山ご参詣になったのは、初めてです。法話は、本堂の壁を塗り替えた時(20年前)以来、古い会館の中に置いていた永代経の懇志者のお名前を書いた板を張り替えたこと、板を釘で打ち付けながら、これだけたくさんお方々に支えられて、法泉寺が御法義を相続できたこと、御懇志だけでなく、飯台や灰皿、湯呑茶碗など、いろいろなご寄付によって、賄われてきたことなどを話し、浄土真宗のお寺は、一人の高額な御懇念ではなく、ひとりひとりの少しづつの御懇念で営まれてきたことをお話しました。
 その後、子ども雅楽の演奏(越天楽、さくら、祇園楽、恩徳讃、遠き山に日は落ちて、ほおんこさん)が花を添えました。

祝賀会   

 法要はそれで終わり、祝賀会と相成りました。境内には、法要の途中にセッティングされた焼肉マンが2台、いすも用意していただき、ご招待の方々は、会館の中で、これも法要の途中で届いた舟盛りのお刺身2艘も並べられて、生ビール、お酒、焼酎、各種ドリンク飲み放題、境内では、かき氷、綿菓子、ポップコーン、たこ焼き、焼肉と、賑やかに祝賀会が始まりました。
 舞台では、弟一家(赤ちゃんの颯人君まで5人)の演奏が始まりました。ギターとチェロとピアニカとベース。4人ともテンガロンハットにネッカチーフでプロ並みの演奏でした。続いて、南武士さんの詩吟、その師匠の岩崎清藏さんの朗詠、幕間に僕も「おかげさま」を歌いました。続いては、本日のメインゲスト、わが松浦組の若い坊様たち6人が演奏してくださいました。尊光寺の杏ちゃん、浄誓寺の淳哉さん、厳教寺の智導さん、源光寺の唯明さん、光楽寺の智さん、西光寺の聡さん、賢海寺の靖幸さんです。「歩くの大好き」「花は咲く」「ナモアミダブツ」・・・最後の曲AKB48の「会いたかった」には、舞台の下で、角大輔(高3)、亮太〈中3)兄弟が激しいブレークダンスを踊って、ヤンヤの喝采を浴びていました。
 幕間に元門徒総代の岩崎勝美さんが吟じられ、トリは、上田正臣さん、岩永秋代さんの踊りです。支那の夜からオテモヤンまで、女装した上田さんの踊りと岩永さんの掛け合いはまさに絶品、チラリズムを各所に取り入れながら、抱腹絶倒、いやーまさに役者です。
 少し酔いの回った西川豊総代の感極まった挨拶、そして住職の食後の言葉で、祝賀会はお開きとなりました。延べ200人以上の参詣でした。



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