仏教的に食を味わう⑧ 七草粥

 人日の節句の朝いただく7種の野草、野菜をいただく風習で、もともと、小正月の1月15日のものを「七種」と書いて七草と読み、7日正月のものを「七草」と書いたのだそうです。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを語呂合わせのようにして覚えたものですが、中国からつたわったもので、枕草子などにも書かれています。六朝時代の歳時記に人日(人を殺さない日)の1月7日に食べる羹(あつもの:とろみのついた汁物)に七種の野菜を刻んで入れたそうで、それが、お正月のおせち料理や飲みすぎでつかれた胃を休ませる意味もあっての習わしになったようです。邪気を払い万病を除く占い食としていただくと、反仏教的、反浄土真宗的ではありますが、少欲知足、腹八分目の食として意識すれば、仏教的に食を味わうことになります。


   ●1月の行事予定 

1日 元旦修正会(大みそかから引き続き、勤めます。)   ・年越しお正信偈、法話。恒例の福引もあります。
4日 総代世話人会 夕方5時ぐらいからです。
   
世話人さんは、まず本堂へどうぞ。
8日 お磨き、お華束盛り 新年会 多数ご参集ください。
    10~13日 御正忌報恩講(朝6:00~ 夜7:30~)

     
朝は、正信偈草譜六首引きの後御伝鈔拝読
       夜は、正信偈行譜六首引きの後、法話です。
  12日は 子ども報恩講です。音楽法要(宗祖讃仰音楽法要)
    そして、雅楽の演奏を致します。

 13日大逮夜は、浄真寺高峰智晃師のお取次ぎです。
 
  *この御正忌報恩講は、宗祖親鸞聖人の遺徳を偲びお勤めする浄土真宗の     一番大切な法要です。
     京都の本山(西本願寺)では、9日から15日まで勤められています。
     時間のある方は、ぜひ御参詣ください。餓鬼の様相を呈する世相の中     、ご家庭でもお精進をしてみませんか。昔は、御正忌はどの家庭でも     、お精進で、魚屋さんも肉屋さんもお休みでした。


14日 原明お講(
吉永三紀夫さん宅

18日~19日 伊万里市二里町 西願寺様 御正忌へ出講
 
 ●お華束の色餅を遠方の方には、郵送していましたが、諸般の事情で、
  昨年から郵送していません。あしからずご了承ください。

慈光無量 
 大いなる光といのちの中で、新しい年を迎えられ、健やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 新しい年を迎えて、心機一転、今年こそはこんなことをやってみようという、一年の計は元旦にありと昔の人々は、けじめをつけて、出発していたようです。初荷、初売り、お雑煮、お年玉、新年のご挨拶、おせち料理、年賀状、初詣・・・
 ところが最近は、元旦から初売りを始めたり、店を開けたり、お正月の雰囲気を楽しめないサービス業の方々もたくさんおられます。初めと終わりのない、けじめのつかない世相になってきたと思うのは、僕だけでしょうか。
 ともあれ、新しい年を恵まれたことを喜び、今年もお念仏を申す日暮らしをいたしましょう。

 さて、毎年、年の暮れには、お取り越し報恩講(在家報恩講)を、一軒一軒お勤めさせていただいていますが、今年お取次ぎをさせていただいた「御伝鈔」は、下巻の第六段「洛陽遷化」の段でした。伝絵のコピーを見ていただきながら、拝読し、絵の説明をします。旧暦十一月二十八日、午の時、頭北面西右脇で往生された御開山の姿は、法然様や日蓮様、弘法大師や伝教大師など日本のお坊様だけでなく、朝鮮や中国、東南アジア、チベット、インドなど仏教国のお坊様方の亡くなられた時の姿勢です。それはお釈迦様がお手本で、各地にある釈迦涅槃像もすべて、頭北面西右脇になっています。


 これは、宇宙の動きに連動した姿勢です。地球の磁場にあわせ、天体の動き(太陽も月も星も)が西に向かうことと同時に西方極楽浄土を拝みながら、人体の造り(心臓の位置、胃の形、大腸の向き)から、循環や消化、排せつが、スムーズに行われるような意味も含んでいます。そのようなわけで、亡くなった方は、北枕にして安置されますが、縁起が悪いとか不吉だと嫌われて、北枕をしないような風潮も多々見受けられますが、本当は、生きているときも北枕で、右の腹を下にした横向きの寝方が、体の浄化や活性化にはあっているのです。

 次のの絵は、延仁寺で火葬されている場面です。



 親鸞さまは、火葬や土葬ではなく、水葬を望まれていました。
「某、閉眼せば、鴨川に入れて魚(いを)に与うべし。」と遺言されました。
 散骨や樹木聰を望んだり、自分の身辺整理や財産分与、跡継ぎのことなどのような個人的なことではなく、後生の一大事を阿弥陀如来におまかせし、用の済んだ自分の体は、他のいのちのためにお返しするチベットなどの鳥葬に思いをはせておられたのかもしれません。
 阿弥陀如来の光に照らされたわが身の愚かさ、殺生し続けねばひと時も生きていけない罪悪深重のわが身の処し方を、魚の餌にしてくれとおっしゃったのでしょう。これこそ、究極の終活と味わわせていただいた「御伝鈔」拝読のお取り越し報恩講でした。

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2018.1 桃谷法信