点から線へ響流十方
2013.6 住職:桃谷法信
 人と人の出会いは本当に不思議です。
時間も場所もその一点で交わるからです。

 5月の初め、近所の仲間「どんつじ会」のメンバー7名で壱岐へ行きました。
唐津東港から印通寺まではフェリーで100分、波静かな玄界灘を北へ。30年ぶりの壱岐は、見違えるようにきれいに整備されていました。
 ウニ丼に舌鼓を打ち、猿岩に自然の妙味を讃え、はらほげ地蔵さんを拝み、左京鼻の奇岩の白い色は、鳥の落し物だろう、いや違うと議論をし、壱岐焼酎の酒蔵元に行きました。運転を変わってもらえることになったので、工場見学をした後、利き酒(焼酎)をしにお店に入ると、先客がありました。何げなく話しているうちに、その中の一人が、炭坑節の語りべだということを知りました。所望すると、その語りべである「原田巌さん」は、心よく応じて下さいました。
 一般に知られている炭坑節は、三橋美智也さんが戦後歌ってからのものであり、ルーツは、田川や大牟田、唐津などで歌われていたゴットン節であるとか、ある芸者さんが哀調を帯びた節回しで歌っておられたことなどを紹介しつつ、歌って下さいました。その声の澄んだ響きは、店内の空気を、そして、僕の心を震わせました。その場は、お礼を言って、名刺をいただき、旅先のひとつの出来事として終わる点でした。
 
 船場荘という民宿について、ひと風呂浴び、ゆっくりしていると、男の人の4人グループが廊下を通って行きました。どうも、焼酎の蔵元で出会った「原田さん」一行のようでしたが、確かめることなく、海の幸の大大大ご馳走で一杯やって、食べ過ぎて、夜の街へ出かける元気も勇気もなく、そのまま寝てしまいました。
 翌朝の朝食は別々の部屋でいただきましたが、隣の部屋から聞こえてくる話声で、昨日の「原田さん」一行と確信し、点から線へという言葉を思い出して、失礼も顧みず、13日のむりょうじゅ会のことをお話し、ぜひ歌いに来て下さいとお願いしました。原田さんは、快く応じて下さり、約束して下さいました。
 点が線になりました。 

 6月のむりょうじゅ会での講演をお願いする手紙を差し上げるとすぐに、毛筆のご丁寧なお手紙とCD,DVD,プロファイルと持ち歌一覧が同封されていました。
 お手紙には、出会いの不思議さとおもしろさ、71歳まで、会うことも話すこともなかった二人が、たまたま、義理の弟さんの古希の祝いの旅で、宿も決めかねて訪ねた壱岐という島の一点で出会えたことの嬉しさが認めてありました。

 そのようないきさつで、今回のむりょうじゅ会は、「炭坑節語りべ・原田巌さんの歌とトーク」と相成った次第です。原田さんの澄んだ歌声と自ら炭鉱夫だった経験から語られる、人生の悲喜こもごもを、ぜひ、聴きに来て下さい。線が十方に広がっていく事を願っています。
 以下、原田さんの送って下さったプロファイルをどうぞ。

 原田 巌プロファイル

 
6年前、屋根から転落して頭蓋骨骨折、外傷性くも膜下出血を起こし生死をさまよう、まさかの坂を乗り越え、この大変な出来事を大きく変わるチャンスと考え、NHK出演を機会に、生かされている我が命に感謝して、炭坑節を勉強、今日に至っています。昭和16年10月3日生。71歳
昭和31年〜三井鉱山学校に学ぶ。
炭坑節語りべとして、炭鉱で亡くなった方々や苦労した方々の思いを各地域・小学校など炭坑節の歴史を、歌いながら後世に伝えるため講演活動中です。
 今年は、東京国立博物館の山本作兵衛シンポジュウムに出かけ、炭坑画のボランティアガイド、福島県いわき市常磐炭鉱へ、田川炭鉱と常磐炭鉱の交流に出かけました。
 歌いながらの炭坑節語りべは、日本全国でも数少ない、もしかして私一人ではなかろうかと自負しています。
 また、山本作兵衛炭坑画が世界記憶遺産に登録されたことで石炭歴史博物館にてボランティアガイドをしています。
 また、テレビやラジオ出演、・それ行け民謡唄祭り、・ブルートレイン九州の旅・きらり九州めぐり合い・NHKジャーナル・まめご飯など、昨年の11月は、NHKあさいち・RKBムーブ(カンテラ下げて遠い日の炭坑唄)・TNC(たまりば)などに出演しています。

  
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