移り変わり
2014.1 桃谷法信
2014年の新年、おめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

法泉寺は、カウントダウンではなく、お正信偈のお勤めの途中で、新年を迎えます。
紅白歌合戦の終わりごろから鐘を撞き始めにみえますが、撞いた後、本堂に上がり修正会がはじまります。今年は、小中学生が20人以上もお参りに来て総勢50人余りのお勤めが出来ました。
 
 さて、この「むりょうじゅ」も360号となり、30年の節目を迎えました。
お叱りを受けたり、励まされたりしての30年、むりょうじゅを発行していたお陰で、お育てをいただいたような気がします。初めのころは、B4用紙1枚、それも表だけのお粗末な通信でしたが、100号を過ぎたころから両面印刷になり、試行錯誤の繰り返しでした。表紙の親鸞聖人ご和讃の版画も、続けられたのは、このむりょうじゅ発行のおかげだと思っています。連載した「しんらんさまの不思議なことば」は、冊子になりました。郵送している各地から、寺報や感想をいただき、つながりをいただいている有難さも実感しています。
  手書きだった「ひとくち法話」は、ホームページ掲載のために、活字になりましたが、ホームページを開設できたのも、むりょうじゅを発行していた賜物だと思っています。たくさんの方に見ていただいて、アクセスも20000回を越えました。そして、トップページの掲示板に、たくさんの書き込みもいただき、ずっと昔の一期一会の出会いから、メールして下さる方もいました。大学のサークル宗育部で鹿児島に巡回した時に出会ったであろう子どもだった人から、「あの時お寺に来てくれた桃谷のお兄さんですよね。」とメールをいただいたり、教育実習に来ていたKさんからもお便りをいただきました。また、ネットを見たからと言って、ご門徒になって下さる方も多々あります。30年という時の流れの中で、門信徒の繋がり方も変わってきたなあと感じています。門信徒でなくても、むりょうじゅ会の会員として御法義をよろこんでいる方もあります。むりょうじゅの発行部数も初めは100部でしたが、現在320部になりました。
 これも時の流れの中での移り変わりなのでしょうね。

 移り変わりというと、最近特に実感するのは、若者が、中心になっているということです。
昨年の11月28日(旧暦の御正忌)に、伊万里市民センターで、松浦組仏教婦人会の50周年記念大会が開催されましたが、その時の法要は、親鸞聖人750回大遠忌を記念して制定された「宗祖讃仰作法音楽法要」でした。CDではなく、生の演奏にしようということになり、若手のお坊さんたちが法泉寺に集まって、雅楽演奏の練習をしたのですが、笙や龍笛の経験者が3人、あとは、初めての人が3人。しかし、CDに合わせて練習し始めると、面白くなって、夜の12時近くまで練習して、なんとか出来そうという感触を得たので、次の日から、みんなが集まりやすい伊万里の明善寺さんで、三日間、練習しました。 本番では、見事な演奏で、700人の参加者が感動のうちにお勤めされました。その様子を、ユーチューブにアップしてくれたのも「まつうらそわっかもん」です。
 
 また、違う角度から移り変わりを感じることは、若者の文化というより、最近の音楽や映像が、コンピューターグラフィック(CG)化され、迫力満点になったということです。しかし、どうも造りだされた人為的な光や音は、感動する深さがないというか、LEDをたくさん並べた電飾にしても、パッと見はいいのですが、すぐに飽きてしまったり、夏の夜空を彩る花火にしても、色が鮮やか過ぎて、すぐに飽きてしまいました。世の中の移り変わりは、刺激が強くなればなるほど、それ以上の刺激を作りだして、まるで人間の欲望の様に膨れ上がるばかりだと感じるのは、年のせいでしょうか。 大晦日のNHK紅白でも、そんな印象を受けました。

 どんなに世の中が移り変わっても、人間の悲しみや苦悩がなくなるわけではありません。欲や怒りや愚痴も、ずっとついてくることでしょう。
 それを見通したお釈迦様の教えが、2500年の時の移り変わりの中で、生きて働いて下さってきたのは、「天上天下唯我独尊、一切皆苦我当安之」と宣言されたことの証です。
 
 そのお釈迦様の教えをベースにして、この「むりょうじゅ」も31年目を出発します。ご教導のほどお願い申しあげます。


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