岩永久男さんから頂いたサダさんの
ノート
カタカナでびっしりと書かれている。
ここでは、わかりやすいようにひらが
なで書いてみます。
プロフィール
明治21年〜昭和58年
81歳から文字を覚え始め、97歳で往生される
まで、おりにふれて、若い時から聴聞されたこと
を書き綴られた小学校低学年用のノートが茶箱
いっぱいに保管されている。
岩永治平衛さんの妻
上本村迎の岩永久男さんの母
岩永サダさんの巻 その3
母さん、ほんとにありがたくうれし。
私が心のおろそかで、わがままばかり言いはって、あなたを泣かせてきましたね。
私の宿業抱きしめて、み親とともに泣きました。
聞かせてもろおたその日から、心の闇は、晴れました。ようこそ教えてくださった。
泣く泣く三塗に沈む身が、無碍の白道ひとすじに、久遠のみ親と参ります。
一日ごとに晴れていく。ありがたや、なもあみだぶつ。
一日ごとに晴れていく、痛みもつもるこの胸を、撫でては泣いたこの胸に、今では念仏絶えまなし。
喜ばせてもらいます。み親とともに参ります。ありがたや、なむあみだぶつ、あみだぶつ。

   老人の歌
生きてきたきた茨の道も踏み越えて、進む文化のめぐりあい。生きてきた身は幸いよ。体を大事に気をつけて、残る人生、ほがらかに、老人福祉に恵まれて、百まで元気にいきましょう。
 
 岩永サダは、九十まで生かされてきました。婆の形見に書いておきます。
この婆は、81からお勉強。この婆の、前の世で、無間地獄のどん底で、地獄の苦ゲンを受けるとき、縁の功にて救われて、生まれ難き人間に生まれさせしこの上は、聞くこと難きみのりをば、百千劫にもなお難し
お慈悲を聞く身に育てられてもろおてうれしかよ。南無阿弥陀仏のありがたさ。親様の慈悲の心の胸の扉を照らし破ってもろた時、頭を下げて、泣くばかい。そのご苦労は、婆いちにんのためなり。おかげさまよ、ありがたさ。ここの用事の済み次第、やがて連れられ行く身の愉快さよ。お浄土に参らせてもろおて、伴座を分けて待っております。皆様、聞き損ないのないように聞かせてもろおて参ってきてください。見えぬまなこに点眼通。聞こえぬ身には、テンゲツ。自由自在の身となりて、正しきみのりを聞く。あたたかく喜ぶかぎりのお念仏。
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よろこびノート