岩永サダさん その2

今年は、昭和51年の5月の6日は、本当によろこびました。
上見て泣くより下見てよろこべ。 耳の聞こえぬものはホケホケ
人のふり見て我がふりなおせ。人を恨まず、あやまたず、わが宿業とひき受けて、強く生き抜く気の楽しいかよ。ああありがたい。
 
7日は、お国からお金もらう。なによりうれしかった。何の不足も言わず、にこにことおかげで幸せものよ。わがよかごと(自分の好きなように)使います。うまご(孫)たち、俊江、秋代、久明、良子、美智子、智子、敦子、清子、うまごたちの結婚するのを見たかった。うまごたちに分けてやる。
 わたしは、白無垢1枚抱いてかえります。長いお世話になりました。さよなら。わたしはサキヤテ戻って、皆様の来るのを待ちます。その時は、思いのままに話しましょう。
 仏の教えを聞きてこそ浄土の人の数に入れ、蓮の国に生まれては真如の悟り開きてわジョウ園に帰りては、迷える人を救います。
 
ババは、苦しみ悩んだ甲斐ありて、つきぬいのちを恵まれて、わたしゃ幸せものよおかげさま。わたしゃ死ぬるじゃない、お待ちかねの親里がえり。かえるときはみなそろおてお念仏。
笑おて送ってくだされよ。白無垢一枚いただいて親里がえり。
 欲や悪は、こらえましょう。お金も着物も要らないよ。みんなそろおてお念仏。さよなら。
 会うて別れは世の習い。もしも、このまま別れても会えるところは親の里。ゆっくり話しましょうね。
 
親鸞聖人様のご誕生がきますね。90のババは、ヒツデイ。朝に礼拝、昼は汗、夜は感謝で眠りましょう。何の不足も今日一日は、わたしゃ言わずににこにこと。明日といわずに今日一日は、わたしゃ仕事に励みます。御名を称えて今日一日は、わたしゃ仕事に励みます。誰に向かうも今日一日は、わたしゃ笑顔で親切に。仏に抱かれて今日一日は、わたしゃ往きますお浄土へ。念仏ひとつに生きぬいて新日本の建設に死んだつもりでやりましょう。
 
5月の19日に書きました。岩谷のおマチ様のお手紙見て、ほんとにうれしかった。ババは、お慈悲の話が一番うれしか。
 
 日々に念ずれば、いのち新たなりし。風雪にも耐えていのちに力あり。恵む草木にいのちたくまし。咲くも散るも花の命。よろこびのこのいのち。同胞に咲くも散るも花の命。一筋の聞法にいのち恵まる。いのちをかけて、道を求めよ。心に灯火あれば、いのちに光あり。念仏の大道にいのちの流れあり。力の限りいきるいのち尊し。露のいのちに真如の月宿る。わが命すべてのものに生かされる。力の限りいきる命。

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岩永久男さんから頂いたサダさんの
ノート。
カタカナでびっしりと書かれている。
ここでは、わかりやすいようにひらが
なで書いてみます。
プロフィール
明治21年〜昭和58年
81歳から文字を覚え始め、97歳で往生
されるまで、おりにふれて、若い時から
聴聞されたことを書き綴られた小学校低
学年用のノートが茶箱いっぱいに保管さ
れている。
岩永治平衛さんの妻
上本村迎の岩永久男さんの母
よろこびノート